• HOME
  • MAGAZINE
  • REVIEW
  • 地方美術館が静かに語る、展示空間のあり方。 副田一穂が見た…
REVIEW - 2018.6.14

地方美術館が静かに語る、展示空間のあり方。
副田一穂が見た、岐阜県美術館「明治150年」展

明治元年(1868)から起算して満150年にあたる今年、岐阜県美術館では「明治150年」を記念し、明治期に活躍した山本芳翠の作品を中心とした所蔵品特別展が開催されている。展示そのものの歴史を紐解きながら、その特性について愛知県美術館学芸員の副田一穂がレビューする。

文=副田一穂

山本芳翠 浦島図 1893-95頃 岐阜県美術館蔵

山本芳翠 浦島図 1893-95頃 岐阜県美術館蔵

副田一穂 年間月評第12回
「明治150年」展
配慮と信頼

 展示とは、それぞれに多面的な文脈を有するモノを、ある特定の考えや規則に基づいて陳列することにほかならない。明治大正期に常用されたこの「陳列」という語は、1936年に「展示」が登場してからも、長く同義語として併存してきたが、51年制定の博物館法が「展示」一語に統一されたことをひとつの契機として、両者は次第に辞書的語義から離れ、「展示」を優位に置くべくその意味を異にするようになった。そのとき「陳列」は、モノ自体の価値に依存した、見せることへの配慮を欠いた受動的で無思想な並べ方という蔑称へと変わる。

 明治150年を記念して政府が推進する関連施策の冠をそのまま展覧会名に採用してしまうほど寡黙な態度とは裏腹に、岐阜県美術館はその分厚いコレクションをいささか古びてきた展示空間の中に散りばめながら、明治以降私たちが育んできた「美術」とそれを見る行為に対し、配慮と批評を同時に成立させる饒舌な展覧会として、本展を設計している。といっても、章タイトルと基礎的な作品情報を除いて一切のテキストを排した展示室で、饒舌にお喋りしているのはモノ同士であり、またお喋りを引き出しているのはその並べ方である。

展示風景より。展示室A「Ⅰ 明治洋画パノラマ展望 日本とフランス1868-1912」

 明治洋画の草分けである山本芳翠の作品を核に、同時代の国内の作品とフランスの作品、それぞれと織り交ぜつつ段掛けにした第1章「明治洋画パノラマ展望」には、我が国における美術館黎明期の姿——例えばフランスへ留学する直前の芳翠も出品した1887年「第一回内国勧業博覧会」の美術館(Fine Art Gallery)で明治の人々が目にした、天井に向かって何段にも絵画が掛けられている様子——が、遠く重ね合わされている。現代の感覚からすれば異質な絵の掛け方は、続く第2章、芳翠と同じ師ジェロームに学んだルドンの、あえてずらした版画の並び(前期のみ)や、第3章冒頭の開口部を除く壁面全体を埋め尽くすルオーの版画集『ミセレーレ』へと、かたちを変えながら引き継がれてゆく。また逆に、第4章では新天地タヒチの気配を刻み込んだゴーギャンの木版画と、熊谷守一が赤い輪郭線を自らのものにしてゆく過程が、第五章では明治末から大正にかけてのモダンな空気が、それぞれ壁面据え付けの展示ケースの中に、静かに閉じ込められている。美術が見世物と未分化だった時代に存在した複数の展示方法を併存させることで、本展は「美術館」が現代の姿になるまでにたどってきた分離の歴史——博覧会の展示区分による書・画の分離や、美術団体のための展示施設開放による殖産興業と美術との分離、あるいはガラスケースの内外における工芸と美術の分離——を、削ぎ落とされた側のものを並べることなく見事に物語っている。

1948年に出版されたルオーの版画集『ミセレーレ』の展示風景

 通常、美術館が展示プランを策定するにあたっては、作品の重要度の違いやたどるべき順路を鑑賞者が直感的に把握できるよう配慮がなされるわけだが、言い換えればこの配慮は、作品の価値の多寡を決定づけ、特定の文脈へ束縛することそのものである。だとすれば、現在の美術館展示のスタンダードとも言える、画面の天地中央に合わせて横一列に並べる「センター合わせ」の展示方法は、絵や版画、素描、あるいは習作や下絵といったモノを、つくられた当初の技術と目的にまつわる情報を捨象した「(平面)作品」へと暴力的に平準化することで、一定の許容範囲のなかでだけ配慮を行きわたらせ、その負の側面は都合よく回避しようという、無自覚な身振りとしても機能するだろう。次、はい次、と一定の間隔に切り離された個別の絵画世界へ、テンポよく没入すること。本展が提供する鑑賞体験は、そのようなテンポの良さとは真逆を向いている。段掛けの上方に配置された作品には照明が反射して没入を妨げ、展示ケース内の額装絵画はケースの奥行き分の距離と二重のガラスに隔てられる。それは決して見やすい「展示」ではない。だが、見やすさだけが配慮ではない。ここにはすべてのモノの力を最大化するための、コレクションと鑑賞者への全幅の信頼がある(加えて驚くべきことに、本展は同館の代名詞とも言うべきルドンと熊谷守一のいわゆる「名品」を、他館への貸出のために欠いた状況で構成されている)。

 ところで、1982年に開館した岐阜県美術館の最初の特別展のタイトルは、「明治15年・パリ」であった。同展と今回の展示のいずれにおいても象徴的な位置を占める芳翠《裸婦》も、同じく芳翠の《浦島図》も、このときいまだ個人蔵であった。いずれの作品も、同館が所蔵者を突き止めて丁寧に説明して寄託を受け、洗浄や修理を行ったうえで長期にわたる調査研究を重ねた結果、コレクションに加わった作品である。本展にもまた靉光や木村荘八などの寄託の佳品が数多く含まれているが、言うまでもなくそれらは、モノの多面的な価値を読み解いたうえで効果的に「陳列」することが可能な美術館の、これまでとこれからの活動に対する信頼と期待の証である。