マティスの「切り紙絵」を楽しむための10の切り口

国立新美術館で始まった「マティス 自由なフォルム」。巨匠マティスの切り紙絵にフォーカスしたこの展覧会をより楽しむための10の切り口をご紹介する。

文=齋藤久嗣

展示風景より、アンリ・マティス《花と果実》(1952-1953)©Succession H. Matisse

 アンリ・マティスといえば、「色彩の魔術師」とも呼ばれるように、その美しく鮮烈な色彩による油絵の作品をイメージする方も多いかもしれません。しかし彼はその最晩年、ハサミと紙による「切り紙絵」という新たな手法で新境地を開拓します。この「切り紙絵」にフォーカスした展覧会「マティス 自由なフォルム」が、2024年2月14日から国立新美術館で開催中です。そこで、「切り紙絵」を中心にマティス晩年の作品について、10の鑑賞のヒントをご紹介します。

1. なぜマティスは晩年に「切り紙絵」を創始したのか

 60年以上にも及ぶマティスの画業のなかで、ハサミで色紙を切り抜いた「切り紙絵」が初めて登場するのは最晩年となる1942年頃からです。きっかけは、十二指腸がんを患ったことでした。マティスは2度の大手術の末に一命をとりとめますが、車椅子での生活を余儀なくされてしまいます。

 腹筋が弱り、従来のようにキャンバスに向きあって長時間同じ姿勢で描き続けることが難しくなったマティスは、不自由になった下半身を使わず、両手だけでできる芸術として「切り紙絵」を編み出しました。

制作中のマティス 1952頃
©photo Archives Matisse / D. R. Photo: Lydia Delectorskaya

 切り紙絵の「発明」は、晩年のマティスに思わぬメリットをもたらしました。絵画制作において、彼が長年悩んできた「色」と「線」の関係性の問題を解決してくれたからです。1930年代のマティスは、納得行くまで1枚の絵を何度も繰り返し描き直すのが常でした。色彩の調和を重視すると輪郭線が決まらず、しっくりくる輪郭線を見つけ出せたと思ったら、今度は色彩の関係性に不満を抱く......といったように、絵画における「色」と「線」のバランスを取ることに苦慮していたからです。しかし、切り紙絵では、あらかじめ絵の具で着色しておいた紙をハサミで切り取ることで、マティスは自身が理想と考える「色」と「線」を同時に決定することができたので、彼が長年悩んできた問題も解決することができたのです。

2. 切り紙絵の起源は1930年代の大作壁画から

アンリ・マティス ダンス 灰色と青色と薔薇色のための習作 1935-1936 紙にエッチング 29.7×80.3cm ニース市マティス美術館
©Succession H. Matisse Photo: François Fernandez

 マティスは、ある日突然ハサミを持ち出して切り紙絵を着想したわけではありません。じつは、それ以前からしばしば下絵制作の段階で切り紙絵の手法を取り入れていたのです。その代表例として知られるのが、1930年、アメリカの大コレクター、アルバート・バーンズから依頼された壁画の大作《ダンス》でした。この時、彼は構図や色彩を決定するために、「切り紙」を活用しはじめます。各モチーフをあらかじめ紙に切り抜き、位置を微妙に調整しながら無限にシミュレーションを重ねることができる切り紙絵は、マティスにとって時間と労力を節約できる制作手法となっていきました。

 本展でも、《ダンス》のためにマティスが描いた数多くの下絵が展示され、壁面では一連の試行錯誤の形跡も映像資料により可視化されています。ぜひ、切り紙絵の起源を感じながら鑑賞してみてください。

展示風景より
©Succession H. Matisse

3. 総合芸術の土台となった切り紙絵

アンリ・マティス クレオールの踊り子 1950 切り紙絵 205×120cm ニース市マティス美術館蔵
©Succession H. Matisse Photo: François Fernandez

 晩年のマティスは、1948年以降になると完全に油絵をやめ、以降はすべて切り紙絵で制作を行っていきます。切り紙絵はそれ自体が作品となっただけでなく、タペストリーや服飾デザイン、ステンドグラスや印刷物のデザインのための「雛形」にもなりました。画家の美意識を凝縮させ、極限まで単純化した「色」と「形」の世界は、様々なデザインとも相性が良かったわけです。こうして、切り紙絵は晩年のマティスにとって集大成となる総合芸術へと進化していきました。

アンリ・マティス ポリネシア、海 1964(1946年の切り紙絵に基づく) 羊毛のタペストリー 198×309cm ルーヴル美術館蔵(ニース市マティス美術館寄託)
©Succession H. Matisse Photo: François Fernandez

 切り紙絵を一種の型紙として、工芸や生活用品へと展開するのは、人々の生活のなかで「肘掛け椅子のようでありたい」と願ったマティスの芸術観にも沿ったものでした。彼は自らの芸術を美術館やギャラリーで重々しく展示される崇高な美術品としてではなく、版画や画集など、より大衆へと自分の作品が広く愛されることを願っていたのです。

4. 切り紙絵の最高峰「ブルー・ヌード」シリーズとは

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