河井寛次郎は1890年島根県生まれ。1910年に入学した東京高等工業高校(現・東京工業大学)窯業科に入学し、同校にて後輩となる濱田庄司と出会う。そしてその後、京都市立陶磁器試験場へと入所。20年には京都・五条坂の窯を購入し、以降66年に没するまで京都を拠点に生涯活動を続けた。
本展「河井寛次郎展—過去が咲いてゐる今、未来の蕾で一杯な今—」は、そんな河井の没後50年を機に開催されるものだ。
河井寛次郎といえば陶芸家、というイメージを抱く人が大半だと思われるが、本展では陶磁器のほか、木彫や家具、寛次郎が残した言葉、そして愛用の品々130点を一堂に展覧。河井寛次郎記念館所蔵作品を中心に、寛次郎の全貌に迫る内容となっている。
会場は大きく分けて「河井寛次郎が生み出したもの」と「河井寛次郎が愛したもの」の2つで構成。
「生み出したもの」では「土」「彫・デザイン」「書」という3つのセクションから成る。「土」では陶芸作品をほぼ時系列で紹介。寛次郎作品は、三つの作風で変遷が見られる。それは、中国や朝鮮の陶磁器に倣った初期、民藝運動と連動した「用の美」の中期、そして戦後の自由な表現が見られる後期だ。
なかでも目玉となるのは、山口大学所蔵の初期作品9点。これは、2014年になって同大の所蔵が判明したもので、寛次郎30代前半の頃のものが中心。本展では、今回が初公開となる高度な透し彫りの技法を使ったものもみることができる。
また、1937年のパリ万博に出品され、グランプリを受賞した《鉄辰砂草花図壺》(1935)や、57年のミラノトリエンナーレでグランプリを受賞した作品とまったく同型の《白地草花絵扁壺》(1938)、そしてパナソニックが所属する作品など、貴重な品々が揃う。
これら陶器とともに注目したいのが、木彫や家具だ。戦後、木彫を100点ほど生み出したという寛次郎だが、自身は「陶芸家」を生業にする者だとし、木彫を売ることはなかったという。それゆえ、木彫作品はいまも河井寛次郎記念館にすべて所蔵されており、本展ではそのなかから約10点が紹介されている。なかでも、猫をかたどった木彫は、寛次郎の一人娘・須也子の飼い猫がいなくなった際、須也子を慰めるために彫ったもので、その愛くるしい造形からは寛次郎の人となりも感じられるようだ。
陶器や木彫などと同時に、数多くの文章や言葉を残したことでも知られる。本展では短い詩句に絵を添えた『いのちの窓』(1948)からの14編に加え、70歳代で記した5点の書を展示。本展監修者で寛次郎の孫でもある河井寛次郎記念館学芸員・鷺珠江は「言葉は河井を知ってもらううえで、一番わかりやすい」と話す。鷺自身も折を見ては読み返すという寛次郎の言葉の数々に向き合いたい。
なお、本展では寛次郎が愛用した品々や、学生時代の勉強の形跡がわかるノート、覚え書きがびっしりと書き込まれたノートなども展示。
展覧会全体を通じて、日本を代表する陶芸家・河井寛次郎という人間を体感してほしい。
なお現在、世田谷美術館では河井と関係の深い濱田庄司の回顧展「没後40年 濱田庄司展 大阪市立東洋陶磁美術館 堀尾幹雄コレクションを中心に」も開催中(8月30日まで)。こちらもあわせてチェックしたい。