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「もはやない国のかつてない光 東ドイツの女性写真家たち」展(神奈川県立近代美術館 葉山)開幕レポート。東ドイツの女性たちは何を見つめたのか【2/3ページ】

社会主義国家のなかで。オルタナティブな存在、消えゆく街、身体、家族、そして女性たちの連帯

 東ドイツは社会主義国家であったものの、その社会の内実は決して均質的ではなかった。クリスティアーネ・アイスラーが記録したパンクシーンや少年院で撮影された写真からは、社会の外縁に生きる若者文化の熱量が伝わってくる。アイスラーのアンダーグラウンドな文化を記録したいという意志と、それを視覚表現として定着させる技術によって、作品は時代の証言を超えた強度を獲得している。東ドイツにもオルタナティブな文化圏が確かに存在していたことを、本展は具体的なイメージによって示す。

クリスティアーネ・アイスラーの作品群。アイスラーはパンクスの若者や少年院の子供など、アンダーグラウンドな場に身を置く人々を被写体として選んだ。
ジビレ・ベルゲマン「デンクマル(記念碑)」シリーズ(1975〜1986)。ベルゲマンは東ドイツと再統一後の社会における日常生活と文化の変容をとらえた。

 国家と都市の変化に向けられた視線を象徴するのが、ジビレ・ベルゲマン(1941〜2010)の代表作「デンクマル(記念碑)」シリーズ(1975〜1986)だ。カール・マルクス(1818〜1883)とフリードリヒ・エンゲルス(1820〜1895)の立像の建立過程を追ったこのシリーズは、巨大なモニュメントが運ばれ、組み立てられ、都市空間へ配置されていく過程を記録した作品だ。もともとはベルゲマン自身の関心から始まった撮影だったが、後に公式記録としても位置づけられることになる。都市が国家の変化を映し出すなか、本シリーズは都市の変化を時間の流れに沿って捉えており、写真メディアの特性が伝わってくる。

エーファ・マーン《大学広場》(1989)。作品内の建物は解体されたものではなく、行政の管理不足により崩壊したもの。

 エーファ・マーン(1947〜)は建築に目を向けた。崩れゆく建物や変貌する街並みを写したその作品は、たんなる風景写真にとどまらない。東ドイツでは、建物が行政の管理が及ばず老朽化によって崩壊した事例も少なくなかったという。被写体となった建築は、そうした社会の変化を物語る痕跡としても読むことができる。

ガブリエレ・シュテッツァーの作品。左が《癒しの大地》(1982/2024)、右が《カルメン─叫び》(1983/2025)。
レナーテ・ツォイン「罹患」シリーズ(1983〜84)より。ツォインは乳がんの治療を受けていた時期の自身の身体と周囲の環境を記録した。

 本展では、ガブリエレ・シュテッツァー(1953〜)による《癒しの大地》(1982/2024)をはじめ、作家自身の身体を用いた作品も多く展示されている。レナーテ・ツォインによる乳がんを経験した身体のヌードを被写体とする実践・「罹患」シリーズ(1983〜84)は、東ドイツにおける女性表現の射程の広さを示しており、フェミニズム史においても重要な作品といえる。

マーギット・エムリッヒ《リビングルーム》シリーズ(1975〜1976)。左から《クリスタ・M(40歳)、教師;娘ヴィニー(15歳)、生徒》、《ヘルベルト・F(27歳)、画家;エリカ・F(22歳)、保育士》。照明や家具などのこだわりが垣間見え、時勢の閉塞的な印象とは対極的だ。
ウーテ・マーラー宛カード類。作品を印刷した写真紙の裏に住所やメッセージが書かれている。

 いっぽうで、家族や住空間を主題としたマーギット・エムリッヒ(1949〜)の「リビングルーム」シリーズ(1975〜76)も印象深い。住まいのなかで撮影された写真には、政治史や年表からは見えてこない生活の感触を感じることができる。家具の配置、壁紙、衣服、身振り。そこには人々の趣味やこだわり、親密な関係性が刻まれている。

 また展示ケースには、女性写真家同士が送り合った写真やメッセージも紹介されている。写真の裏面に残された住所や言葉からは、職業人として活動する女性たちのネットワークが見えてくる。

編集部