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「椿昇 フリーダムー像(ゾウ)と生きる」(十和田市現代美術館)開幕レポート。あらゆる像(ゾウ)を通じて、自由とは何かを問い直す【3/3ページ】

「社会」と「個人」が接点を持つこと

 3つ目の展示室に現れるのは、先ほどのゾウよりも少し小さな乳白色のバルーン作品《the Elephant in the Room M》(2026)と、その鼻が接続された絵画作品《1•2•3•4•5•6•7•8•9•10》(2026)だ。

《the Elephant in the Room M》(2026)と接続するのは、アクリル絵画作品《1•2•3•4•5•6•7•8•9•10》(2026)。フリードリヒ・ニーチェ、フィンセント・ファン・ゴッホ、サルバドール・ダリ、ジョルジョ・デ・キリコらといった、椿が「フリーダム」を体現したと考える男性像4人が描かれている

 この絵画は、生成AIとの対話から出力されたイメージを、椿が自身の手でキャンバスに描き起こしたものだ。ここではシステムに対する自身の行動を「個人のバグ」と捉え、その関わり合い(=バグを起こすこと)こそが「フリーダム」であると椿は語る。つまり、ここでは「社会」を示す象(ゾウ)と、「個人のバグ」の接点が示されており、これらが交差することこそが、社会を自由に生きていくための術であるとしているのだ。

新作の写真シリーズ「Under the Rose」(2026)。抽象的な像(ゾウ)をじっくり見ることで、バラの花の輪郭が徐々に浮かび上がる

 また、この2つの象(ゾウ)の展示室をつなぐ長い廊下には、写真シリーズ「Under the Rose」(2026)が並ぶ。椿によって至近距離で撮影されたバラの花は、すべてピントが大きくぼやけている。バラの花は「愛」や「美」といった人の欲望を表すこともあるが、これらがぼやけているくらいが社会の枠組のなかではちょうどいいのではないか、という批評性がここにはある。

 カメラの絞りを調整するように、社会と個人の接点における「解像度」をあえてコントロールすること。それこそが、我々が「本当の意味での自由」を獲得するために必要なアプローチなのではないか。椿はこれらの写真シリーズを通じてそのような問いを鑑賞者に投げかけている。

 巨大なバルーンや刺激的なインスタレーションは、一見すると人々を楽しませるエンターテイメントのように映るかもしれない。しかし、一連の作品や構成に込められているのは、現代社会において「自由とは何か」を思考するための、椿からの問いだ。我々は現代社会におけるこの「像(ゾウ)」とどのように接点を持ち、向き合い、変化し続けていくことができるのか。ぜひ、表面的なイメージの奥に潜む本質に目を向ける機会としてほしい。