国家を代表することの不可能性(UAE、カタール、バチカン)
アラブ首長国連邦(UAE)館
UAE館では、グッゲンハイム・アブダビのキュレーター、バナ・カッタンによるグループ展「Washwasha」が開かれている。囁きの音を意味する展覧会名のもと、複数の作家が参加し、移動する身体や言語、記憶をめぐる感覚的な経験がUAEの同時代的な状態を示すサウンドスケープとして提示される。モスクワ出身でドバイとも往来するタウス・マハチェヴァのインスタレーションでは、箱を覗き込むと「口を閉じろ」と言われ、吊られた複数のスピーカーからは「間に合わなかった」ことへの様々な言い訳が飛び交う。それらの声には、社会的義務や伝達の齟齬への謝罪に伴う疲労感がにじむ。
カタール館(初参加)
ジャルディーニ会場に恒久館の用地を確保しながらも、今年は東屋状の仮設空間において、越境的な作家の代表格であるリクリット・ティラヴァーニャを中心とするプロジェクトが展開されている。中東や北アフリカの集会所である「マジュリス」を参照し、料理人や音楽家らも交えながら、食事や対話、映像上映やライブパフォーマンスが断続的に行われる。完成された展示空間ではなく「集まること」そのものを軸とする形式は、国家をひとつの主体として提示する従来の方法を緩やかに逸脱しているようにも見える。
UAEはヴェネチアへの継続的な参加(今回で9回目、建築展と合わせると15回目)を通じて国際的プレゼンスを高めつつ、国内の文化インフラの整備も進めてきた。カタールは、そのウェブサイトで「批判的な洞察と親睦の双方のための場を提供し、この傑出した人々が集うことで、アラブ文化の持続性と進化し続ける性質を浮かび上がらせ、称揚するとともに、将来的に常設されるカタール館の到来を予感させる」と明言している。こうした文脈で国際的な作家や実践が選ばれている様子は、どこかサッカーチームの編成にも似た戦略性が感じられる。
バチカン館(「Holy See<教皇庁>」名義での参加)
ハンス・ウルリッヒ・オブリストとベン・ヴィッカーズの共同キュレーションのもと、「The Ear is The Eye of The Soul(耳は魂を見る眼である、の意)」と題された展示が行われている。中世ドイツの神秘思想家・作曲家ヒルデガルト・フォン・ビンゲンに着想を得て「聴くこと」を主に据え、サンタ・ルチア駅付近の修道院庭園とカステッロ地区の宗教施設の2ヶ所で展開されている。前者では、ステファン・クラスニアンスキーとシモーネ・メルリが率いる「Soundwalk Collective」を中心に、パティ・スミスやブライアン・イーノらとの音響作品がヘッドフォンを通じて体験され、聴覚を通じた内的な知覚や霊的経験が強調される。後者ではテキストや映像が重ねられ、鑑賞者は屋外と屋内、音と静寂のあいだを行き来する。
バチカンは国家と宗教の二重性を持ち、世俗国家とは異なるかたちで「代表」する主体である。この特異な位置に対する評価は、今年来場者投票となった金獅子の対象として他国のパビリオンと同列に置かれたとき、どのように成立しうるのだろうか。

不確かな国家性(アルバニア、ソマリア)
アルバニア館
ジェンティ・コリーニによる映像インスタレーション《A Place in the Sun》(2026)が展示されている。実写、パペット、3Dアニメーション、音響が交差するハイブリッドな構造のなかで、20世紀初頭のロシア前衛詩人たちによる無意味言語「Zaum(ザウム)」が引用され、スロベニア出身作家ヤンコ・ラヴリンのアルバニア表象も参照しながら、言語そのものの解体が試みられている。かつてアルバニアが外部からエキゾティックで未開なものとして描かれてきた歴史を背景にしつつ、本作はその外部の視線を批評的に引き受け、言語の解体を通じて意味や認識の基盤そのものを揺さぶる。そこから、国家がつねに他者の思惑によっても構築されてきた存在であることを浮かび上がらせる。
ここでアルバニアは、特定の場所であると同時に、「どこでもない場所」として現れている。こうしたあり方は、コソボやマルタといった欧州の非中心的なパビリオンにも通じるものであり、国家という枠組み自体の不確かさを別のかたちで示しているようにも見える。
ソマリア館(初参加)
3部構成に基づいたソマリの詩の形式に由来する「SADDEXLEEY」と題された展示が行われている。3名の作家は皆ディアスポラで拠点が異なり、アヤン・ファラー(ストックホルム)のテキスタイル作品、アスマー・ジャマ(ブリストル)の映像インスタレーション、ワーサン・シャイア(ロサンゼルス)の詩作が、住居のような空間の3つのフロアに置かれた。UAE館のサウンドスケープとは対照的に、ここでは言語とメディアを通じて、帰属意識、記憶、遺産といったテーマが静かな表現として提示されている。
かつてイタリアを含む列強による分割統治を受け、その後も国際介入の困難や周辺地域の紛争の影響を受けてきたソマリアの初参加だが、「このパビリオンはソマリアを代表していない」とする声明が国内のアーティストや文化団体から出されている(*3)。国の代表の選出過程や、イタリア人が制作に関わっていることへの不透明さなどが指摘されている。

*3──https://www.instagram.com/p/DXR7PrciIBK/?img_index=1;https://www.instagram.com/p/DXFTja9CJ59/?img_index=1



















