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「アンドリュー・ワイエス展」(東京都美術館)開幕レポート。窓、扉、そして人、「境界」をめぐる絵画との対話【2/4ページ】

ワイエスとはどういう画家だったのか

 本展は全5章で構成される。第1章「ワイエスという画家」では、その生い立ちから育まれた作家性を紹介している。ワイエスは少年時代から91歳でこの世を去るまで、生まれ故郷であるペンシルヴェニア州と、夏の家があるメイン州の2つの拠点で生涯にわたって絵を描き続けた。絵画に関する正規の教育は受けず、挿絵画家であった父の指導のもと、技術を磨いていった。

 ワイエスに転機が訪れたのは1945年、父が列車との接触事故で急逝したことだ。この悲劇はワイエスに大きな衝撃を与え、以後、彼の作品の根底には「世の無常」や独自の死生観が流れることとなった。

アンドリュー・ワイエス《自画像》(1945)パネルにテンペラ

 また、ペンシルヴェニア州チャッズ・フォードにはアフリカ系住民の黒人コミュニティがあった。ワイエスは彼らの心の拠り所であった教会に出入りしており、当時としては珍しく、人種の垣根を越えて人々と交流。その親密な関係性は作品のモチーフにも色濃く表れている。

アンドリュー・ワイエス《マザー・アーチーの教会》(1945)パネルにテンペラ。薄暗い教会に窓から光が差し込んでおり、1羽のハトが室内に飛び込んでくる様子が描かれる

 第2章では、ワイエスが描き出した「光と影」の表現に着目する。一般的に光と影は「表裏」や「対立」として捉えられがちだが、ワイエスの描くそれは、その「あわい」の描写にこそ真髄があるように感じられる。そこには画家の経験や感情が投影された、静かな期待や開放感が見て取れる。

アンドリュー・ワイエス《洗濯物》(1961)には、ワイエスを支えた妻ベッツィが干した日光を浴びる洗濯物と、アトリエの暗い室内が対比として描かれる

 第二次世界大戦後、芸術の中心地がアメリカへ移ると、ジャクソン・ポロックらの抽象表現主義やポップアートが隆盛するなかで、ワイエスの写実表現は時代遅れと見なされたこともあった。しかし、周囲の評価が目まぐるしく変化するなかでも、彼は一貫して自身のリアリズムを追求し続ける。

ワイエスが描き出した「光と影」の表現に着目した作品群が並ぶ

編集部