周文とその弟子たち
こうした中国絵画の影響は、何よりも禅宗における画僧たちにもたらされた。なかでも相国寺の僧・周文は、足利将軍家の御用画僧として“日本製の唐絵”を多く制作する。その様式は雪舟をはじめとした弟子たちに引き継がれ、画中に僧たちが賛をしたためる「詩軸画」が隆盛するとともに、水墨画の礎となる。それは狩野派にもつながっていく。

周文作と伝えられる《江天遠意図》は、詩軸画の典型といえる一作。画には、対角線を基本に風景を収める“馬遠様”の構図が確認できる。

画聖と知られる雪舟が改名する前、拙宗等楊と名乗っていた時代の作品には、師・周文の画風から独自の表現を模索している姿を見いだせるだろう。





















