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特別展「ゴッホ展 家族がつないだ画家の夢」(大阪市立美術館)開幕レポート。家族の強い絆と意志が紡いだもの【5/8ページ】

 そしてフィンセントは、1888年2月にアルルへ移動し、ここで1年3ヶ月のときを過ごす。アルルで制作された《種まく人》は、西洋美術にはなかった新しい表現に影響されている部分が散見される。フィンセントの画業が語られる際に欠かせない浮世絵との関係が、この作品のなかでも確認できるだろう。画家・ゴーギャンとの共同生活を始めたのもこのアルルという土地だが、病のせいもあり耳を切り落とす衝撃的な出来事を起こし、サン=レミ=ド=プロヴァンスに移動する。ここでは療養をしながらも制作を続け、フィンセントはさらに自らの表現様式を確立していく。

展示風景より、フィンセント・ファン・ゴッホ 《種まく人》 (1888年11月) アルル 油彩、カンヴァス ファン・ゴッホ美術館、アムステルダム(フィンセント・ファン・ゴッホ財団)

 そして1890年5月にオーヴェール=シュル=オワーズに移動するが、3ヶ月の滞在ののち、自らの胸部をピストルで撃ち、7月29日に37歳で息を引き取る。

 制作年を問わず、ファン・ゴッホ家が受け継いできたフィンセントの200点を超える絵画、500点以上の素描・版画は、現在ファン・ゴッホ美術館に保管され、世界最大のファン・ゴッホ・コレクションとなっている。本章では、そんなファミリーが守ってきたフィンセントの作品とゆっくり対峙することができる。

編集部