第3章は「フィンセント・ファン・ゴッホの絵画と素描」。本章では、フィンセント・ファン・ゴッホが画家になる決意をしてから、その生涯を閉じるまでのわずか10年の間に残された作品たちが、おおよその時系列に沿って、制作された土地を明確にしながら紹介される。
フィンセントは1880年、27歳のときに画家になる決意をする。最初はオランダの主にハーグで、3年間ほど素描の腕を磨いた。その後ニューネンに移り、油彩画に取り組み始める。1885年に制作した《小屋》はこの時代に手がけたもののなかでも最重要作といわれている。農村のわらぶき屋根というモチーフによって人々の生活を描いた作品。数年後にサン=レミで描いた作品にも、このわらぶき屋根が登場する。

ここで展示は第2会場へ続き、フィンセントがパリで制作した作品が展覧される。フィンセントは1886年にパリに出ると、自らの表現が時代遅れであることに気づき、新しい筆づかいと色彩表現を取り入れ、独自の様式を生み出していく。
今回のメインビジュアルである《画家としての自画像》はこのパリ時代に描かれている。じつはこの自画像は、ヨーが、もっとも出会った頃のフィンセントに似ていると回想した作品。病気や健康不良の話を聞かされていたからか、思ったよりそのフィンセントの姿は健康的に見えたとヨーはのちに述べている。いっぽうフィンセントは、妹に宛てた手紙で、まるで死神のような顔だといった内容が書かれている。同じ自画像について語っているにもかかわらず、まるで正反対の意見である点も興味深い。




















