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「ヒルマ・アフ・クリント展」(東京国立近代美術館)開幕レポート。神秘思想で拓いた抽象絵画の世界【6/6ページ】

第5章「体系の完成へ向けて」

 1920年代に始まる水彩を中心とした制作は、人智学や宗教、神話に関わるような具体的モチーフを回帰させながら、晩年まで続く。

展示風景より、《無題》(1934)

 いっぽうで注目すべきは後半生における制作以外の仕事だろう。アフ・クリントは1920年代半ば以降、自身の思想や表現について記した過去のノートを編集・改訂しており、それが後半生における重要な仕事となった。

 なかでも注目したいのは、「神殿のための絵画」を収めるための建築物の構想だ。同作が完了してから15年以上経過した1930年代、作品を収めるための螺旋状の建築物を構想したアフ・クリントは、その内部の具体的な作品配置計画の検討も重ねていたという。

 この神殿は実現しなかったものの、こうした編集・改訂作業は、アフ・クリントの仕事全体が「厳密な体系性」を目指していたことを示している。

展示風景より
展示風景より、1930-31年のノートブック(神殿の計画案、1931)

 グッゲンハイム美術館での回顧展以降、カンディンスキーやモンドリアンに先駆けて抽象絵画を創始したパイオニアとされることが多いアフ・クリント。だがここで、最後に学芸員の三輪による以下の指摘を引用しておきたい。

「未知の女性の画家が美術史を書き換えた、という筋書きは大変に魅力的だが、アフ・クリントの思想や表現が拠って立つパラダイムは、これまでの美術史のパラダイムを無効にしかねない困難な要素を有する。すなわちそれはスピリチュアリズムや秘教的思想を基盤にした制作である。(中略)「オカルトの画家」かつ「抽象のパイオニア」、二つのパラダイムの両立ははたして可能だろうか。モダン・アートの既存のパラダイムは変更することなく安定させたまま、アフ・クリントの作品をそこに位置づけることはできるのだろうか。その問いはいまだ解決されておらず、開かれたままであるように思われる」(公式図録 12頁より抜粋)

編集部

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