アーティゾン美術館で「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」が開幕した。会期は8月20日まで。担当学芸員は新畑泰秀と島本英明。
本展は、セザンヌを筆頭とする印象派を抽象絵画の起源ととらえ、その後の興隆、発展を転換する試み。同館の新収蔵作品95点を含む約250点が集結し、4階から6階の全展示室を使用する大規模展となっている。
展示の入口は6階展示室。セクション1「抽象芸術の源泉」は、同館が重要視するセザンヌによる作品《サント=ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(1904-06頃)で始まる。続いてマネ、ゴッホ、ゴーギャン、モネなどの作品も並び、光と色を通して対象をとらえる印象派の表現が堪能できる導入となっている。
セクション2ではフォーヴィスムとキュビスムの表現を紹介。同館はこの2つの潮流を抽象絵画の覚醒の主要な要素ととらえ、積極的に作品を収集してきた。とりわけ1905〜1906年頃の作品を評価しており、新収蔵品にもこの時代の絵画が多く含まれている。
フォーヴィスムの奔放な色彩と、キュビスムの抑圧された色彩とのコントラスト。マティスやドランの躍動感と平面性を備えた構図と、ピカソやブラックによる要約された形体とこれがもたらす立体感との対照性は、それぞれの表現の特性を際立たせ、鑑賞者の理解を助けるだろう。
展示タイトルと同じ「抽象絵画の覚醒」というタイトルを冠したセクション3には、副題の「オルフィスム、未来派、青騎士、バウハウス、デ・ステイル、アプストラクシオン゠クレアシオン」に見られるような多様な表現が集まっている。
見どころ満載のこの章は、「物をそのまま写すのではない、新しい絵画としての抽象画の始まりはどこか」という問いが軸になっている。明確な定義は難しいが、抽象絵画を始めた画家のひとりとして東欧出身のフランティセック・クプカの名前が挙がるのは間違いないという。
会場では、新収蔵作品のひとつで本展のメインビジュアルにも採用されている《赤い背景のエチュード》(1919)が、愛知県美術館所蔵の《灰色と金色の展開》(1920-1921)と並べて展示されており、日本ではあまり知られていなかったクプカの作品を堪能できる貴重な機会となっている。
具象絵画を手がけていたクプカに対して、キュビズムの系譜にあるロベール・ドローネーも、抽象絵画を始めた画家のひとりに数えられる。本展には、フランスにおける抽象絵画の起こりと言える窓シリーズから、色彩理論を取り入れ光を色彩で表現しようと試みた《街の窓》(1912)を展示。ギョーム・アポリネールの詩「窓」が隣に並べられている。
同作は、エッフェル塔と見られる「×」の連なりや建物と見られる四角形が見られ、具象性ものぞいている点で興味深い。さらに展示室を進むと、色彩理論を発展させ円をモチーフにした巨大な作品《リズム螺旋》(1935、東京国立近代美術館)が、ル・コルビュジエの《レア》(1931、大成建設株式会社)と並んで展示されている。
この章ではまた、《自らが輝く》(1924)をはじめ多数のカンディンスキーの作品を展示。ダダとシュルレアリスムに関わりフランスとアメリカで活躍したフランシス・ピカビアの《アニメーション》(1914)や、アメリカ・ニューヨークで活躍したジョージア・オキーフの《オータム・リーフ Ⅱ》(1927)や《抽象 第6番》(1928、愛知県美術館蔵)なども見ることができる。
セクション3でアートの中心がパリからニューヨークへ移っていく雰囲気が感じ取られたが、セクション4「日本における抽象絵画の萌芽と展開」では舞台が日本に移る。並ぶのは、長谷川三郎《アブストラクション》(1936、東京国立近代美術館)をはじめ、萬 鉄五郎や岡本太郎などの作品。古賀春江の絵画は同時代のヨーロッパの絵画表現の参照性が強いため、つい第3章に戻って見比べたくなるかもしれない。
セクション5はフランスで「熱い抽象」「叙情的抽象」、日本では「アンフォルメル」と呼ばれてきた戦後フランスの抽象絵画を紹介。ヴォルス、ジャン・デュビュッフェ、ジャン・フォートリエはもちろん、ジョルジュ・マチューの新収蔵作品《10番街》(1957)も展示。
さらに、ザオ・ウーキーや堂本尚郎など、アジア圏からフランスに渡った画家の表現も同館の新収蔵作品を通して知ることができる。
エレベーターで降りた先には、赤い壁に囲まれたセクション6「トランス・アトランティック-ピエール・マティスとその周辺」が広がる。ヨーロッパとアメリカの美術を繋いだピエール・マティスにスポットライトを当てた空間では、彼が広めたデュビュッフェやミロの作品が展示されている。
この章の意義は、セクション7の「抽象表現主義」とのつながりを感じることで、いっそう強く感じられるだろう。
セクション7ではポロックからジャスパー・ジョーンズまで、アメリカで盛んになった抽象表現主義の表現を幅広く紹介。ダイナミックな画面構成や黒を用いた色彩が目立つため、光の表現としての印象派に連なるフランスの抽象表現とは異なる印象を抱くことだろう。
いっぽうで、マーク・ロスコ、クリフォード・スティル、アド・ラインハートらの作品は、表面がフラットで画面上で色彩の対立が少なく、マーク・トピーの《傷ついた潮流》(1957)には日本と中国に渡って知った「書の美」が取り入れられており、光とリズムも感じられる。抽象表現主義は多様な表現を包む枠組みであり、「近代的かつ自由なアメリカ」と重なる潮流であると言えよう。
セクション8から10では、戦後日本の抽象表現を展観。とりわけ、ポロックやマチューを先駆者として国際的なアイデンティティを発揮した「具体美術協会」の表現を集めた第9章は必見。
4階に備えられたガラスケースでは、同時期に日本で活動した「滝口修造と実験工房」の軌跡を見ることができる。
セクション11と12は「特別」だという。セクション11では、アンス・アルトゥング、ピエール・スーラージュ、ザオ・ウーキーの「その後」にフォーカス。3名とも1950年代にフランスの戦後抽象を牽引した点で評価されてきた画家だが、本展を通して晩年の表現の素晴らしさにも気づくことだろう。
セクション12は、現代作家7名の新作を中心とした作品で構成される。リタ・アッカーマン、鍵岡リグレ アンヌ、婁正綱(ろうせいこう)、津上みゆき、柴田敏雄、髙畠依子、横溝美由紀の新作を中心とした作品で構成される。
具体と抽象を往来する画面と鮮烈な色彩を特徴とするリタ・アッカーマンは、本展に合わせて制作した新作を含む3作品を出展。婁正綱による水墨画と現代美術を融合させた平面作品2枚は、対峙するように展示されている。
鍵岡リグレ アンヌの作品は、これまでとはまったく異なる抽象表現と言えるかもしれない。作家は「具象が抽象にみえる瞬間、フォルムが変化する瞬間」をテーマに創作しているといい、本展には水面に映り込んだ瞬間を写真に撮って描いて生みだされたシリーズを展示している。
回廊に並ぶ作品は、「私の作品は抽象絵画ではない」と話す津上みゆきによるもの。抽象絵画の範囲が一義に定まらないことを前提とする本展に必要だと考え、交渉の末、出展に至ったという。
さらに、昨年開催されたジャム・セッション「写真と絵画−セザンヌより 柴田敏雄と鈴木理策」に登場した写真家・柴田敏雄の作品も展示されている。唯一の写真表現でありながら悪目立ちするようなことがないのは、柴田が創作テーマとして「抽象」を置き、セザンヌの表現に見られる要素を取り入れているためだろう。
髙畠依子による白い平面作品は、麻のキャンバスに玉結びを施し、漆喰で塗ってつくられたもの。このプロセスは、支持体と自分の身体の一体感を重んじて生みだされたという。
本展の最後を飾るのは、地面にまで広がる横溝美由紀の作品。横溝もまた、「私は画家ではない、彫刻家だ」と語りながらも出展に至ったという。髙畠も糸を用いていたが、横溝の作品に見られる糸は支持体に属するものというよりは、抽象画に見られた線と重なるようにも感じられた。
本展は「抽象絵画がどのような手法や芸術運動に影響を受けて、後世にいかなる影響を与えたのか」を紐解く試みであった。もちろん、同館の所蔵品を中心に構成されており、フランス、アメリカ、日本といった地理的な限定を伴うことには留意しなければならない。
そのうえで、現代アーティストの作品展示に着目すると、抽象絵画がもたらした影響を紹介するだけではなく、抽象表現の定義をいま一度広げる効果を持っていたと感じられる。これは、鑑賞者一人ひとりが作品の持つ色彩の力を堪能しながら、「抽象絵画」の範囲を見つめる契機を提供していたともとらえられるかもしれない。
アーティゾン館が誇る膨大なコレクションによって実現した本展は、抽象絵画の歴史や価値を伝えるものであり、表現を現代、そして未来につなげるという美術館の使命をも思わせる意義深い展示だったと言えよう。