美術について、もしくは美術を通して思考する
現代において美術批評という営みには困難が伴う。書き手の感性や文章力に依拠して作品を論じてみても、あるいは、いわゆる「現代思想」の理論を援用してみても、必ずしも作品自体を語り尽くせるわけではないことは、誰の目にも明らかだ。また、社会に関与する作品が数多く制作されるなか、それらの作品がテーマとする社会問題に踏み込んでみても、作品そのものからはますます離れるばかりである。本書が試みる「美学の実践」は、そのような美術批評の困難の見事な解決策を示しているように思われる。
本書は2010年から19年にかけて、展覧会カタログ、雑誌、書籍などに掲載された著者の論考をまとめたものである。各論考は「崇高」「関係」「生命」の3つの部へと編成されることで、現代美術における重要なテーマを浮かび上がらせる。第1部では美学の伝統的概念であり、抽象表現主義のテーマでもある「崇高」に、災害のカタストロフが緩やかに結びつけられる。第2部では現代美術における関係性というキーワードの氾濫に、「関係」の多様化による前提の崩壊が読み取られる。そして第3部「生命」では、生成と消滅のプロセスとして「生」をとらえることで、事物としての作品にも「生」を見出す可能性が示され、美学を対象(オブジェクト)のみに適用することに再考を迫る。
それぞれの論考では、カント、ローゼンブラム、ランシエール、グロイス、ブリオー、ハーマンらによる、現代美術を考える際に踏まえておくべき論点がクリアに説明され、個別の作家や現代美術の動向が明瞭に考察される。著者は、伝統的な哲学と最新の美術理論の両方に注意深く目を配るいっぽうで、個別の作品という具体的事象に対してつねに誠実であり、さらには時代の潮流や、問題含みの現代社会に対しても意識を向けることを怠らない。いま美術批評がなすべきことは、美術について思考すると同時に、美術を通して世界におけるわれわれの状況と立ち位置を思考することである。本書はまさに「美学の実践」──具体的事象と抽象的思弁のあいだを往復しながら、その往復運動そのものに批判的な眼差しを向け、思索し続けること──により、最良の美術批評の在り方のひとつを示しているように感じられる。
(『美術手帖』2022年4月号「BOOK」より)