第2章「モンロッチ─パリ 田園地帯から前衛の都へ」では、1920年代の活動を追う。スペインのモンロッチで療養生活を送っていたミロは、この時期に初めて芸術の都・パリを訪問。そこで最先端の芸術の在り方に衝撃を受けたことをきっかけとして、翌年から同地のアトリエで活動を行うようになった。
モンロッチとパリを往復しながらも、パリのシュルレアリスム作家や詩人との交流を深めていったミロの作風は徐々に記号的なものへと変化していく。25〜27年には「夢の絵画」と呼ばれる作品を100点以上手がけ、絵画と詩を融合させた「絵画詩」の表現を確立。これらの作品がパリで評価されていった。
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その後、既存の芸術に対して批判的な目を向けるようになったミロは、コラージュ表現やオブジェの制作をもって絵画の在り方を問い直し続けた。「絵画を暗殺したい」とまで口にしたというミロの意欲的な姿勢も垣間見ることができる。
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