17世紀初頭から20世紀後半までのスペインに関わる版画作品を展観し、版画というメディアがスペインの文化・美術のイメージ形成に果たした役割を探る展覧会「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」が、東京・上野の国立西洋美術館で開幕した。会期は9月3日まで。担当は国立西洋美術館主任研究員の川瀬佑介。
印刷物である版画は、19世紀においてはイメージを遠方に伝達するために重要な役割を果たしたメディアだった。日本における浮世絵のように、スペインの文化や美術も、版画を通じて各地に知られていった。本展は版画というメディアを企画の中心に据えることで、スペインという土地のイメージの変遷を伝えるものだ。
本展は国立西洋美術館の展覧会としては珍しく、国内美術館の収蔵品のみで構成されている。この展示方針について、担当の川瀬は次のように語った。「コロナ禍を経ることで、本館のみならず、国内の美術館が収蔵しているコレクションに目を向けることができた。ピカソ、ミロ、ダリといった20世紀のスペインの画家は版画で多くの作品を残したが、国内にはこうした作家の潤沢なコレクションかあること改めて気づかされた」。
展覧会は6章構成。第1章「黄金世紀への照射:ドン・キホーテとベラスケス」では、スペイン文学を代表するセルバンテスの『機知に富んだ郷士ドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャ』(前篇1605、後篇1615)の表象と、18世紀後半から19世紀を通じて高く評価されたスペイン人画家、ディエゴ・ベラスケス(1599〜1660)の受容に焦点を当てる。
現代の我々がイメージする、馬に乗って見果てぬ夢を追い求めるドン・キホーテのイメージがいかに形成されていったのかを、書籍の挿絵をはじめとした版画作品でたどる。
例えば、18世紀イギリスを代表する諷刺画家、ウィリアム・ホガース(1697〜1764)による挿絵のための作品を見ると、演劇的で大げさな動きが描かれ、迫力ある物語の場面としてドン・キホーテの姿が演出されていることがわかる。
いっぽう、オノレ・ドーミエ(1808〜1879)は挿絵ではなく、単独作の主題としてドン・キホーテを描いている。ドーミエの作品はドン・キホーテとサンチョ・パンサのふたりを、物語の要素ではなく、その人物の姿そのものに焦点を当てて作品化したものが多い。19世紀後半には、当時の啓蒙的思想と相まって、ドン・キホーテのイメージが物語を離れてより精神的なものを表徴する概念に近いものとなっていたことが理解できるだろう。
本章のもうひとつのテーマとなっているベラスケスは、19世紀のスペインを代表する画家であると同時に、後の時代の多くの画家に版画を通じて受容された存在でもあった。
フランシスコ・デ・ゴヤ(1746〜1828)は、王室コレクションとなっていたベラスケスの作品11点にもとづく版画を制作し出版した。ゴヤの版画は、模写版画でありながらも、輪郭をとらえるのではなく水平方向の線を重ねてボリュームを出し、その密度の対比で奥行きをつくるといった自由さを持っている。ゴヤは版画を通じて、ベラスケスの作品の明暗やフォルムを徹底的に観察して再解釈、理解を深めながら自分の技術を洗練させていった。こうした研究の蓄積が、のちのゴヤの国際的な評価を下支えしていく。
エドゥアール・マネ(1832〜1883)もまた、版画を通じてベラスケスを解釈した画家のひとりだ。マネはルーヴル美術館に所蔵されていたベラスケスの《13人の会合》の模写に、《小さな騎士たち》(1860)と独自のタイトルをつけ、印象がまた異なる高い明度を持つ作品に仕上げている。のちに印象派の旗手として絵画を革新していくマネだが、ベラスケスの作品を自身の作品観にもとづいてアップデートするという試みがその礎を築くための材料のひとつとなった。
第2章「スペインの『発見』」は、「ピレネー山脈の先はアフリカ」と呼ばれたように、19世紀まではほかの先進的なヨーロッパ諸国から顧みられることが少なかったスペインが「発見」され、土着の風習や人々、文化に人々が惹かれていった過程を追う。
旅行者の時代とも呼ばれていた19世紀は旅行文学が流行。スペインの魅力は、こうした文学の挿絵となる版画を通してヨーロッパ中に知られていった。当時の写真はネガがなく、1枚のみしか制作できないダゲレオタイプだったため、写真を版画に起こして本の挿絵などにしたという。展示されている当時の写真を模写した版画作品からは、イスラム様式にもとづいた建築などが、エキゾチックなスペインの象徴としてとらえられていたことが伝わってくる。
また、アンダルシア地方に由来する衣装を着た「マハ」の女性像や、そこから移行したジプシー(ロマ)の女性像といった人物像、カルメンといった踊りも取り上げられている。
本章では、本展で初公開される国立西洋美術館の新収蔵品、ホアキン・ソローリャ(1863〜1923)の《水飲み壺》(1904)に注目したい。光溢れる海を数多く描いたソローリャによる、子供に水を与える女を描いた本作は、その色彩と筆使いが印象的だ。ここで使われている素焼きの壺もまた、スペインの家庭で愛用されているもので、スペインの象徴的なイメージを伝えるものとなっている。
第3章「闘牛、生と死の祭典」は、そんなスペインの文化のなかでも「闘牛」に焦点を当て、ゴヤやパブロ・ピカソ(1881〜1973)による版画作品を展示する。
第4章「19世紀カタルーニャにおける革新」は、2015年より国立西洋美術館が収集を続けてきた19世紀スペインの芸術家、マリアーノ・フォルトゥーニ(1838〜1874)を中心に取り上げる。カタルーニャで生まれ、バルセロナの美術学校で学んだフォルトゥーニは、18世紀風の風俗画や人物画で人気を呼んだ。しかし、画家とした人気を得たフォルトゥーニは、その制作の合間を縫って個人の創作性の発露のためにエッチングの制作を始める。巧みな陰影とドラマチックな構図によって人物を描いたその作品群は、訪れた多くの人にフォルトゥーニ再評価の機運を与えることだろう。
第5章「ゴヤを超えて:20世紀スペイン美術の水脈を探る」は、これまで紹介されてきた国外から表象されるスペイン像ではなく、スペイン人の芸術家が自国の文化を見直した19世紀後半から20世紀にかけての作品を中心に展示している。
「エスパーニャ・ネグラ(黒きスペイン)」は、この時代に生まれた批評的態度を象徴する言葉のひとつだ。植民地も失い、ヨーロッパ諸国のなかでも後進的とされた取り残されたスペインだが、そこに残った迷信、死、貧困といったイメージを改めて見つめるという意味合いが込められている。
また、スペイン内戦を経て生まれたフランコ独裁政権における抑圧のなかの芸術も、20世紀のスペイン美術を語るうえでは欠かせない。ピカソやジョアン・ミロ(1893〜1983)といった芸術家は、国外から政権に対する批判的態度を作品として示し続けた。
最後となる第6章「日本とスペイン:20世紀スペイン版画の受容」は、ピカソ、ミロ、サルバドール・ダリ(1904〜1989)、アントニ・タピエス(1923〜2012)といった20世紀の芸術家の作品を、日本人がどのように受容していたのかを振り返る。国内の様々な館が所蔵する、スペイン美術の数々が会場に並ぶ。
イメージを広く運ぶメディアとして版画をとらえ、スペインの歴史がそこにどのように刻まれていたのかを追う本展。現代にも通じる。メディアが発信するイメージの系譜をたどるという観点でも興味深い展覧会となっている。