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「スペインのイメージ」展によせて。外交官コレクター須磨彌吉郎が見たスペイン 

17世紀初頭から20世紀までの版画作品を通じて、スペインの国や文化がどのようなイメージで伝えられてきたかを探る「スペインのイメージ:版画を通じて写し伝わるすがた」が国立西洋美術館で開催されている(〜9月3日)。約240点の出品作は、すべて日本国内で所蔵されている作品だ。その一部はひとりの日本人外交官によって、第二次大戦下のスペインで集められ、日本にもたらされたものだった。本展を機に、コレクター・須磨彌吉郎について紹介する。

文=高木友絵

旧日本公使館(在マドリード)にて自らのコレクションを紹介する須磨彌吉郎、1943-45頃 提供=須磨家

戦時下のスペインで 美術品収集と諜報活動?

 須磨彌吉郎(1892〜1970)は第二次世界大戦中の1941年から46年にかけて、特命全権公使としてスペインに赴任していた外交官。その在任期間中に、本職のかたわらマドリードを拠点に多くの美術品を収集した。15世紀のゴシック様式の宗教画から、須磨が在任していた同時代の20世紀前半の巨匠まで、テンペラ、油彩、木彫、版画、素描などを俯瞰する作品群は幅広い時代にわたり、1760点以上の規模があったとされる。

 須磨はイギリスや中国などの公館に務めた外交官であったが、戦時下で全権公使を務めたスペインでは表向きの外交のほかに、政府の命で東機関(とうきかん)という諜報機関を設立したと言われる。1941年当時のスペインは中立国で「ヨーロッパの観測台」と呼ばれるほど、各国が世界情勢の情報収集を行う拠点としていた。須磨が携わった東機関は、マドリードを拠点にアメリカなど連合国側の国内情勢や軍事情報などを収集し、それを東京に暗号で打電していた。東機関の「東」は、情報を盗む「盗」を意味していたともされる。

袴姿の須磨彌吉郎、旧日本公使館(マドリード) 撮影=マルティン・サントス・ユベロ 提供=須磨家

 スペインでは諜報活動に関わりつつ、並行して美術品の収集を行っていた須磨。コレクションを研究する長崎県美術館の稲葉友汰学芸員によれば、作品の収集活動は外交や情報収集のための人脈づくりなどに大いに役立ったと考えられるという。須磨の残した回顧録には、スペイン画家の作品を購入した話題で外相と会話が弾んだエピソードや、展覧会の開幕時には政治家や官僚、新聞記者など各界の人物に会うことができたという述懐を見つけることができる。ただし、映画のような諜報員としての暗躍を想像するのは性急で、公館のトップであった須磨がどの程度実際の諜報活動に関与していたかは明らかになっていない。

 須磨は活発に収集を行っていて、自身が作成した目録によればそのコレクションは1760点にのぼる。記録外にも社交のための贈答にあてられた作品などがあり、コレクションの総体は2400点以上であったという説もある。しかし稲葉の研究(*1)によれば、須磨の旺盛な収集活動は、1945年4月を境に急に減退してしまう。45年4月に日本とスペインの国交が断絶されたことで、マドリードの日本公使館がスペイン側より厳しく監視されたことが原因と考えられるという。東機関もアメリカ側に暗号通信を解読され、44年ごろには機能不全に陥っていたとされる。

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