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「没後20年 東野芳明と戦後美術」(富山県美術館)開幕レポート。現代美術の伴走者の足跡を珠玉の収蔵品とたどる【6/6ページ】

 第8章「東野芳明旧蔵作品」は、富山県美術館が所蔵する、東野旧蔵の書籍や作品、資料を紹介。90年に東野は病に倒れ、自宅に保管していた旧蔵品は富山県美術館の前身である富山県立近代美術館(1981〜2016)が収蔵した。東野と芸術家との交流をいまに伝える品々が展示室には並ぶ。

展示風景より、第8章「東野芳明旧蔵作品」

 最後となる第9章「東野芳明と富山県立近代美術館」は、東野が開館前より相談役を引き受けていた富山県立近代美術館の歴史を振り返る。当初、富山県は初代館長を同県出身の瀧口修造に打診したものの辞退。そのあとを継ぐかたちで瀧口を慕う東野が相談役を引き受けた。

展示風景より、第9章「東野芳明と富山県立近代美術館」

 東野は現代美術を軸とする同館の開館にあたって、次のようなテキストを寄せている。

20世紀もあと20年あまりになった現在ですら、まだモダン・アートが「わからない」という声の強いこの国で、この美術館に寄せられる期待は、はかりしれないものがある。
(東野芳明「カタルニアの星 ジョアン・ミロ 県立美術館との出会い」抜粋『北日本新聞』、1978年3月30日)
展示風景より、第9章「東野芳明と富山県立近代美術館」 手前が海老塚耕一《連関作用》(1983)富山県美術館蔵

 また、東野は同館を舞台に開催された富山国際美術展の実行委員やコミッショナーも務めた。なかでも、辰野登恵子、矢野美智子、吉澤美香らが参加した第2回展においては、次のテキストを寄せている。

 女は、男の視線の中で、見られる対象として培養されてきたし、女が自立して、なにかを表現しようとすると、”女らしさ”とか、あるいは”女の表現は非理知的で情熱的で肉感的だ、という、評価の囲いが最初から与えられ、その囲いのなかで愛玩されてきた。
(中略)
 いま、女性たちは、男の視線の射程から限りなく遠ざかろうとしている。あるいは、男の視線を揺さぶり、混乱させ、宙吊りにしようとしてる。封印されてきた未知の可能性を思い切り展開しようとしている。これは”女らしさ”だとか”情念的”といったレッテルとは全く関係がない領域だし、といって、男に追い付き、追いこせというつま立ちでもない。
(東野芳明「富山ナウ'84―日本セクション」抜粋[『第2回富山国際現代美術展』図録収録])

 以上、すでに30年以上も前に書かれたふたつのテキストで東野が投げかけたことについて、現代における美術はどのような答えを導けているのか。いまいちど考える必要があるかもしれない。

 本展は欧米を中心に現代の美術を果敢にとらえようとした東野の生涯に沿うかたちで展開するが、その流れを的確に追うことができている富山県美術館の潤沢なコレクションには驚かされる。東野の撒いた種がどうなったのか、その答えは本展に並ぶ圧倒的なコレクションの量と質が雄弁に語ってくれるはずだ。

編集部

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