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「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」(東京国立近代美術館)開幕レポート。トリオで再発見する3館のコレクション

東京国立近代美術館でパリ市立近代美術館、東京国立近代美術館、大阪中之島美術館のコレクションをテーマごとにトリオで紹介する展覧会「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」が開幕。会期は8月25日まで。

文・撮影=安原真広(ウェブ版「美術手帖」副編集長)

展示風景より、左からアンリ・マティス《椅子にもられるオダリスク》(1928)、萬鉄五郎《裸体美人》(1912)、アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》

 東京国立近代美術館で「TRIO パリ・東京・大阪 モダンアート・コレクション」が開幕した。会期は8月25日まで。本展は9月14日〜12月8日の会期で大阪中之島美術館に巡回する。担当は東京国立近代美術館研究員の横山由季子と大阪中之島美術館主任学芸員の高柳有紀子。

展示風景より、左から辰野登恵子《UNTITLED 95-9》(1995)、セルジュ・ポリアコフ《抽象のコンポジション》(1968)、マーク・ロスコ《ボトル・グリーンと深い赤》(1958)

 セーヌ川のほとりに建つパリ市立近代美術館、皇居にほど近い東京国立近代美術館、大阪市の中心部に位置する大阪中之島美術館は、いずれも大都市の美術館としてモダンアートのコレクションを築いてきた。本展はこの3館のコレクションから共通点のある作品を選び、トリオとして構成し、展示するものだ。

展示風景より、手前左から倉俣史朗《ミス・ブランチ》(1988/1989)、冨井大裕《roll(27 paper foldings)#15》、ジャン=リュック・ムレーヌ《For birds》(2012)

 会場は34組のトリオ、7つの章で構成。110名の作家、前期後期合わせて156点の作品。パリ市立美術館から32点が初来日した。

 本展ではまず、プロローグとして「コレクションのはじまり」と題し各館の原点を紹介するために、ロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》(1915)、安井曽太郎《金蓉》(1934)、佐伯祐三《郵便配達夫》(1928)がトリオを組む。《鏡台の前の裸婦》はパリ市立近代美術館の開館の契機となったジラルダン博士の遺贈品、《金蓉》は東京国立近代美術館の最初の購入作品のひとつ、《郵便配達夫》は大阪中之島美術館構想のきっかけとなった実業家・山本發次郎の旧蔵品だ。

展示風景より、左から佐伯祐三《郵便配達夫》(1928)、ロベール・ドローネー《鏡台の前の裸婦(読書する女性)》(1915)、安井曽太郎《金蓉》(1934)

 第1章「3つの都市:パリ、東京、大阪」では、3都市の都市性をテーマとした3作品を様々なテーマで並べている。

 例えば河合新蔵、長谷川利行、モーリス・ユトリロの風景画を並べた「都市と人々」では、水の都・大阪の生き生きとした姿を描いた河合、昭和初期の新宿のビル街の賑わいを伝える長谷川、石造りのモンマルトルを豊かな表情で描くユトリロと、三都市のアイデンティティを絵画で表現しようとした3作家の姿が見て取れる。

展示風景より、モーリス・ユトリロ《セヴェスト通り》(1923)、長谷川利行《新宿風景》(1937)、河合新蔵《道頓堀》(1914)

 第2章「近代化する都市」では、近代都市を題材とする作品から、多様な表現を追求した芸術家の試みを紹介。

  本章のなかの「都市のグラフィティ」では、20世紀において表現の舞台となった路上にフォーカスを当て、佐伯祐三、ジャン=ミシェル・バスキア、フランソワ・デュフレーヌを展示している。20年代のパリの街角の乱雑なポスターを描いた佐伯、60年代のパリに貼られていたポスターを剥がして作品を制作したデュフレーヌ、80年代のニューヨークのストリートのエネルギーを吸収し絵画を描いたバスキアと、時代を超えた3人の都市のエネルギーへの向き合い方が表出した作品を見ることができる。

展示風景より、ジャン=ミシェル・バスキア《無題》(1984)、佐伯祐三《ガス灯と広告》(1927)、フランソワ・デュフレーヌ《4点1組》(1965)

 第3章「夢と無意識」では、シュルレアリスムをはじめ、夢や無意識、空想、幻想、非現実、メタファーを表現に取り入れた作家たちによる作品が並ぶ。

 なかでも「現実と非現実のあわい」では、画家が過去の名画を参照しつつ、自らの分身とも言うべき存在を絵画に描き込むことで、現実と非現実のあわいを表現した絵画が展示されている。ヴィクトル・ブローネルは自らの生み出した怪物をルソーの絵画に登場させ、有元利夫はフレスコ画や仏画を参照しつつ古典的な女性を食卓に鎮座させ、そしてルネ・マグリットボッティチェリの描いた女神を山高帽の男の背中に表した。

展示風景より、左からヴィクトル・ブローネル《ベレル通り2番地2の出会い》(1946)、有元利夫《室内楽》(1980)、ルネ・マグリット《レディ・メイドの花束》(1957)

 第4章は「生まれ変わる人物表現」だ。古くからの芸術の伝統を引き継いで様々な展開をみせた人体表現を探る。

 ここでは展覧会ビジュアルにもなっている、アンリ・マティス、萬鉄五郎、アメデオ・モディリアーニを並べた「モデルたちのパワー」に注目したい。いずれも横になり、ときには裸体の女性たちを描いたものだが、たんに男性に見られるだけでなく、こちらを強く見返してくるその力強さは絵画の可能性を感じさせてくれる。

展示風景より、左からアンリ・マティス《椅子にもられるオダリスク》(1928)、萬鉄五郎《裸体美人》(1912)、アメデオ・モディリアーニ《髪をほどいた横たわる裸婦》

 第5章「人間の新しい形」は、都市化・工業化による人間性の問い直しや、二度の世界大戦による惨劇などを経験し、新たな人間の表現を追求した作品を紹介。

 「デフォルメされた体」は本章を象徴するかのうように、ジェルメーヌ・リシエ、柳原義達、イヴ・クラインによる立体作品を並べている。フランス南西部のランド地方の湿地帯の羊飼いが竹馬に乗って移動する姿を再現したリシエのキメラのような彫刻、そのリシエからも影響を受けた柳原の戦争へのレジスタンスとアイロニーを込めた女性像、そしてトルソーのブロンズを「クラインブルー」で塗り固めたクラインの像など、様々に身体を解釈した作家たちの立体が存在感を放つ。

展示風景より、左から柳原義達《犬の唄》(1961)、ジェルメーヌ・リシエ《ランド地方の羊飼い》(1951)、イヴ・クライン《青いヴィーナス》(1962)

 最後となる第6章「響き合う色とフォルム」では、抽象的であるようでいて、そこに様々なイメージが見て取れる20世紀美術の作品を展示している。

 なかでも「カタストロフと美」は、これからの時代においても普遍的に訪れるであろう自然災害や戦争、病といったカタストロフと向き合った、佐藤雅晴、畠山直哉、グサヴィエ・ヴェイヤンの作品を並べている。佐藤は東日本大震災後に実写映像をトレースするアニメーションを制作、畠山は故郷を襲った津波のあとに残った木を写し、そしてヴェイヤンは新型コロナウイルスによるロックダウン中に描き続けたドローイングを描き連ねた。

展示風景より、左からグサヴィエ・ヴェイヤンのドローイングシリーズ、畠山直哉《「津波の木より 2019年8月2日 福島県南相馬市」》(2019)、佐藤雅晴《エレジーシリーズ(桜)》(2011)

 各館のアイデンティティともいうべきコレクションを、多種多様な視点で「トリオ」として切り取り、新たな価値を探ろうとする本展。キュレーションのおもしろさを存分に感じられる展覧会といえるだろう。

編集部

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