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アメデオ・モディリアーニ

Amedeo Modigliani

 アメデオ・モディリアーニは1884年イタリア・リヴォルノ生まれ。エコール・ド・パリの画家。引き伸ばされた長い首やうつろな目を特徴とする、官能的で倦怠感のある肖像画を描いた。ユダヤ人の家系に生まれたモディリアーニは、虚弱体質で肋膜炎とチフスに罹り、中学校を辞めて風景画家のグリエルモ・ミケーリに師事。1900年肋膜炎を再発。母とともに療養のためローマやフィレンツェ、ヴェネチアなどイタリア各地を巡る。旅行中、美術への思い入れが強まり、02年にフィレンツェの裸体画教室に入学。翌年、ヴェネチアでヴィットーレ・カルパッチョやジョヴァンニ・ベッリーニなどシエナ派を学ぶ。

 06年より、かねてから希望していたパリでの活動を開始。モンマルトルに居を構え、パブロ・ピカソ、藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交流する。当初は絵画制作に取り組んでいたが、彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシと出会い、彫刻作品に重きを置くようになる。この頃、ポール・セザンヌ、トゥールーズ=ロートレックなどの作品にふれ、ピカソの《アヴィニョンの娘たち》(1907)を目にする。また、ギリシアのカリアティード(人像柱)やアフリカの原始美術の影響を受けて、長い首と単純化された頭部を持つ彫刻作品を制作している。

 14年、第一世界大戦が勃発。石材の入手が困難になったことや体調面の問題から画家に戻る。彫刻家時代の作風が引き継がれ、画業の大半を肖像画と裸婦画が占める。風景画は4点のみで、モデルは芸術仲間のほか、大半を恋人のジャンヌ・エビュテルヌが務めた。17年、生涯で唯一の個展をパリのベルト・ヴェイユ画廊で開催。ショーケースに飾られた裸婦画《赤いヌード》に鑑賞者がつめかけ、警察沙汰となる。アルコールと薬物に依存し、退廃的な生活を送ったものの、恵まれた容姿と気品ある振る舞いで周囲から慕われた。結核で1920年没。2015年、クリスティーズで《赤いヌード》が約1億7000万ドルで落札される。18年にはサザビーズが《横たわる裸婦》(1917)に、予想落札額として過去最高となる1億5000万ドルの値をつけて発表し、話題を呼んだ。