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サンドロ・ボッティチェリ

Sandro Botticelli

 サンドロ・ボッティチェリは初期ルネサンスの画家。フィレンツェ出身。フィリッポ・リッピに師事したのち、アンドレア・デル・ヴェロッキオとの共同制作などに関わり、1470年には独立。同年、商業裁判所のために手がけた《剛毅擬人像》では、剛毅の化身の生きたような顔つきや陰影ある身体、動きのある表現で高い評価を得た。その後、メディチ家の庇護を受けて画業の全盛期に迎える。《ラーマ家の東方三博士の礼拝》(1475〜76頃)では、新約聖書の一場面における重要な登場人物たちにメディチ家の人々を重ね合わせて描いており、絵画が権力を誇示する道具としての役割も担っていたことを伝える。

 名家の後ろ盾で、81年に竣工したシスティーナ礼拝堂の壁画制作を行う画家のひとりに推薦され、ローマへ派遣。ローマ教皇から名誉を与えられ自信をつけた画家は、82年にフィレンツェに戻ると新たに神話画に挑戦し、ルネサンス期の傑作《春(プリマヴェーラ)》(1482頃)、続いて《ヴィーナスの誕生》(1484頃)を完成させる。これら神話画の制作の背景には、メディチ家が主宰した人文主義者らの集いの存在があり、ボッティチェリもこれに参加して、哲学者や文学者とともに古代ギリシアやローマの文献を研究していた。

《春(プリマヴェーラ)》はキリスト教の聖会話を思わせ、中央に立つヴィーナスの周りを、「愛」「貞節」「美」を象徴する三美神、西風ゼフュロスに追いかけられる妖精クロリス、春の風に吹かれてクロリスから変身した女神フローラが囲んでいる。頭上では「愛は盲目」の寓意であり、目隠しをしたキューピッドが矢を射ろうとしており、メディチ家の結婚祝いにふさわしい作品として制作されたとされている。いっぽう《ヴィーナスの誕生》は、海の泡から誕生したとされる愛と美の女神ヴィーナスが、貝殻から陸へと降り立つ場面を描いた作品。ヴィーナスの恥じらいのポーズは古代ローマの彫刻を参考にしたもので、裸体を髪や手で隠そうとする姿は初々しくも艶やかに描かれ、その傍らには時間を司るホーラが装飾の美しい布を体にかけようとしている。同作品は《春(プリマヴェーラ)》と対になるとされており、ヴィーナスを風で岸へと送るゼフュロスとクロリスの描写に類似を見ることができる。

 91年、メディチ家に対して批判的で、聖職者の腐敗を嘆いていたドミニコ会の修道士ジロラモ・サヴォナローラが、サン・マルコ修道院院長に就任。シャルル8世率いるフランス軍の侵攻が重なったことに乗じ、94年にメディチ家を追放する。これより神権政治が始まり、贅沢と異文化を禁じるサヴォナローラに付き従ったボッティチェリは宗教画を中心に描く。サヴォナローラの影響下で制作された晩年の代表作に《神秘の磔刑》《神秘の降誕》があり、どこか暗さのある、謎めいた作風へ転じた。絵画のほか、ダンテ・アリギエーリの『神曲』を独自に解釈した版画作品などを残している。1510年没。ボッティチェリの作品はメディチ家に秘蔵され、またミケランジェロ・ブオナローティやラファエロ・サンティらの鮮烈な登場などを理由にその画業は長く日の目を見ないまま、19世紀イギリスの評論家ジョン・ラスキン、ラファエル前派の画家たちによる再評価を待つことになる。《ヴィーナスの誕生》をはじめ、作品の多くはメディチ家の収集品を核とするウフィツィ美術館に収蔵されている。