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版画家は「旅」を通じてどのようなインスピレーションを受けてきたのか。「版画家たちの世界旅行」展で見る旅と創作の関係性

町田市立国際版画美術館のコレクションから西洋版画を中心に、旅や移動に関わる16~20世紀の作品を展示する「版画家たちの世界旅行―古代エジプトから近未来都市まで」が同館展示室で開催中。会期は9月24日まで。

文・撮影=三澤麦(ウェブ版「美術手帖」編集部)

展示風景より、『エジプト誌』(1809〜28)《メンフィスのピラミッド 南東から見たスフィンクスと大ピラミッドの眺め(古代編)》

 旅や移動にまつわる16〜20世紀の作品を西洋版画を中心に、コレクションから約160点展示する「版画家たちの世界旅行―古代エジプトから近未来都市まで」が東京都町田市の町田市立国際版画美術館で開催中だ。担当学芸員は高野詩織(町田市立国際版画美術館学芸員)。

 版画家は「旅」を通じてどのようなインスピレーションを受けてきたのだろうか。本展はそのような問いをもとに作品を展示するとともに、展覧会を通じて400年のときを超えた世界旅行を味わうことができるというものだ。

展示風景より

 会場は全5章で構成。「1章 イタリアを目指す旅」では、16世紀頃の芸術家らが自己研鑽を目的とした旅を行っていたことがわかる作品が展示されている。とくに、当時芸術の中心地でもあったローマに集まった北方ヨーロッパの芸術家ら「ロマニスト」は、ローマの古い歴史を美術品や建造物を通じて美術の研究をしていたという。

 17〜19世紀には裕福な芸術家らによる「グランド・ツアー」が行われ、フィレンツェやローマ、ヴェネチアなどを周遊した。この頃の版画はイタリアへの憧れを掻き立てるメディアとしての役割も果たしていた。

展示風景より、《トレヴィの泉》(1751)

 「2章 『オリエント』をめぐる旅」では、19世紀にヨーロッパで流行した「オリエンタリスム(東洋趣味)」の影響が見られる作品群が展示されている。西洋の芸術家にとってこの頃の東洋は原初的な生活が営まれる「未開の地」であり、想像で描かれたものも多い。ここでは18世紀半ばにヨーロッパで流行し、江戸時代に日本にもたらされた「眼鏡絵」と「覗き眼鏡(ゾグラスコープ)」が紹介されている。

展示風景より、覗き眼鏡(18世紀)

 また、同時期の西洋では古代エジプトの歴史や文化がブームであった。将軍ナポレオンのエジプト遠征(1798〜1801)で描かれた『エジプト誌』は国家の一大プロジェクトでもあり、最新の版画技法が試されるなど、その仕上がりは写真と見紛うほどのクオリティだ。この遠征が、ヨーロッパにおけるエジプト研究の発展につながっている。

展示風景より、左から『エジプト誌』(1809〜28)《扉絵:エジプト一望、アレクサンドリアからフィラエまで(古代編)》、《中表紙(古代編)》
展示風景より、『エジプト誌』(1809〜28)《メンフィスのピラミッド 南東から見たスフィンクスと大ピラミッドの眺め(古代編)》

 19世紀に活躍したフランスのロマン主義画家ウジェーヌ・ドラクロワ(1798〜1863)は、1832年にフランス使節団の記録係として北アフリカのモロッコやアルジェリアを旅した。会場ではそのスケッチが紹介されている。ドラクロワがこの地で目にした華やかな色彩やエキゾチックな風景は、その後の作品にも影響をもたらしている。

展示風景より
展示風景より、ウジェーヌ・ドラクロワ《オランのアラブ人》(1865)

 スコットランド出身のデイヴィッド・ロバーツ(1796〜1864)は、1838〜40年にかけてエジプトやシリアを巡り、300点にものぼる水彩スケッチを残した。この精密に描かれたリトグラフ集は当時非常に高い人気を博し、現在でも出版が続けられるほどだ。

 風刺画でも知られるフランスの画家ジョルジュ・ビゴーは、日本に魅了され、1882〜99年にかけて滞在していた。その時期に描かれた『クロッキー・ジャポネ』からは、明治時代の人々の日常の姿や当時の町並みを知ることができる。

展示風景より、手前からデイヴィッド・ロバーツ『聖地 シリア、イドゥメア、アラビア、エジプト、ヌビア』《バールベック》、《エドフ神殿の柱廊式玄関部分》
展示風景より、左からジョルジュ・ビゴー『クロッキー・ジャポネ』(1886)《羽根突き》、《子守》

 19〜20世紀、産業革命により生じた人間と社会の軋みを敏感に感じ取った芸術家らは作品を通じてその危機感を表現。フランスの版画家エリック・デマジエールやフィリップ・モーリッツ(1941〜2019)によって描かれた荒廃した近未来は、現代の小説やアニメーションなどでもみられる「ポスト・アポカリプス(終末もの)」のジャンルにも通じている。

展示風景より、手前はエリック・デマジエール《人住まぬ場所》(1979)

 「3章 『絵になる風景』を発見する旅」で紹介される作品からは、産業革命による都市の発展に伴い、失われてゆく自然や農村を見直す動きが感じ取れるだろう。18世紀末から19世紀には絵になる(ピクチャレスクな)風景を探す「ピクチャレスク・ツアー」が盛んに行われ、自然風景や古代の建造物などが数多く描かれた。バルビゾン派や印象派が台頭するのはこの時期のことである。また、19世紀の移動の活発化には、蒸気機関の発展により船や機関車が安全に利用できるようになったことが大きな要因となっている。

展示風景より、左からルイ=ピエール・バルタール《ジュミエージュ修道院大教会、中庭と後陣の廃墟》、アレクシス=ヴィクトール・ジョリ《モルトメール修道院の廃墟の外観》

 いっぽうで芸術家らのそのような動きを風刺した作品も残されている。フランスの風刺画家オノレ・ドーミエ(1808〜79)は、「ピクチャレスクな風景」を探す画家たちが、農村で暮らす人々から不思議な眼差しを向けられている様子を面白おかしく描いている。現代における「写真映え」を探す行為と何ら変わりない状況が19世紀にも起こっていたことは驚きだ。

展示風景より、オノレ・ドーミエ『ル・シャリヴァリ』

 「4章 都市に集う芸術家の旅」では、19世紀に行われたパリ万博や、幾何学的な摩天楼ビルの立ち並ぶニューヨークに憧れを抱き、現地に赴いた芸術家らが、当時の街の様子や人々を描いた作品が展示されている。

展示風景より、フェリックス・ヴァロットン『万国博覧会』(1901)

 ほかにも、本章では第二次世界大戦の戦火から逃れるため、ヨーロッパからアメリカに渡った「亡命芸術家」の作品も紹介されている。例えば、ドイツの総合造形学校「バウハウス」の閉校に伴い、アメリカへと移住したジョセフ・アルバース(1888~1976)は、リベラルアーツ教育を目指すブラック・マウンテン・カレッジで教鞭を取った。ほかにも抽象絵画で知られるオランダの画家ピエト・モンドリアン(1872〜1944)や、多くのシュルレアリストが亡命し、その後アメリカで活動。その動きは戦後アメリカの美術に大きな影響を与えた。

展示風景より、手前はピエト・モンドリアン『シルクスクリーン12枚のポートフォリオ』《ブロードウェイ・ブギウギ》(1957)

 本展のラストとなる「5章 現代の『旅する芸術家』」では、ヨーロッパやアジア、南極まで旅した版画家ヨルク・シュマイサーと、世界中で大規模なアートプロジェクトを手がけてきたクリストとジャンヌ=クロードの作品が展示されている。

 インターネットの普及により、擬似的かつ簡易な世界旅行を楽しむことができる今日において、現地でしか味わえない様々な出会いや発見といった体験を自ら獲得しに行く芸術家。その姿からは、「旅」と創作活動が切っても切れない関係性であることにあらためて気付かされることだろう。

展示風景より、手前はヨルク・シュマイサー《エアーズ・ロック(ウルル)》
展示風景より、クリストとジャンヌ=クロードの作品群

編集部

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