世界中で絶大な人気を誇る草間彌生の生誕の地である長野県松本市。そこにある松本市美術館では、世界的に見ても屈指の規模を誇る草間の常設作品展示を見ることができる。
同館の前にある高さ10メートルを超える巨大なパブリック彫刻《幻の華》(2002)は、世界中から訪れる鑑賞者を迎える。同作は、草間の野外彫刻では世界最大規模のものであり、2002年の同館開館時に委託制作された。チューリップの花をモチーフにした巨大な彫刻は力強く成長するように様々な方向に伸び、カラフルな表面には草間の象徴的な水玉が覆われている。
隣の美術館の建物のガラスファサードは、高さ14メートル、長さ46メートルにおよぶ作品《松本から未来へ》(2016)が飾られている。同作は、2012年に同館で行われた開館10周年記念展「草間彌生 永遠の永遠の永遠」に合わせて制作されたものだ。
2002年に開館した同館には、1950年代の松本時代の作品から近作まで400点余りの草間作品が所蔵されている。22年、同館は約1年間の大規模改修工事を経てリニューアルオープンし、それとともにコレクション展示室A・B・Cを使った特集展示「草間彌生 魂のおきどころ」を通年開催している。
本展では、草間の初期作品から近作 シリーズ「わが永遠の魂」へと至る創作活動と魂の軌跡を紹介。一部の展示作品は年3回入れ替わっており、訪れるたびに違う体験ができると言える。3月中旬には展示替えを終えた本展で、同館学芸員の渋田見彰とともに会場を巡った。本稿では、本展のハイライト作品をいくつかピックアップして、学芸員・渋田見の言葉とともに紹介したい。
《傷みのシャンデリア》(2011)
暗い部屋の中央でゆっくりと回転するシャンデリア。展示室を囲む鏡張りの壁には無数のシャンデリアが映り込み、ほのかな光が空間に無限に広がる。
作品タイトル「傷みのシャンデリア」は、草間による同名の小説から由来している。「小説の最後には、主人公が恋人に首を絞められながら意識を失っていく寸前に天井を見上げたところ、回っているように見えるシャンデリアの描写がある。死の間際に見る世界や自身の死を考えて制作された作品だろう」(渋田見)。
シャンデリアの中央は時折、稲妻のような明るい光が明滅し、作品に不穏な雰囲気を与えている。「草間さんは華やかな色彩やかたちの作品が前面に出ているが、実際、その心のなかはシャンデリアのように非常に繊細で、触ってはいけない何かがあると思う」(渋田見)。
《命》(2014)&《鏡の通路》(1996)
タコの触手のようにも、がむしゃらに成長する植物の枝のようにも見える彫刻作品《命》(2014)。タイトルの「命」は、種苗業を営む家に生まれた草間が幼い頃、畑で植物が土から芽吹いてくる光景を目にし、そこから生命力を感じたことから由来すると考えられる。
いっぽうの《鏡の通路》(1996)は、鏡に挟まれた狭い通路と、その前に並べられた草間の代表的なソフト・スカルプチャーで構成されている。鑑賞者が鏡の前に立つと、鏡に映るソフト・スカルプチャーと自分の姿が無限に増殖し、終わりが見えない空間に吸い込まれていくように感じる。「ソフト・スカルプチャーは元々、男性の性器をイメージしている。生命感という意味では、《命》と共通しているかもしれない」(渋田見)。
《天国への梯子》(2012)&《ゴッド・ハート》(2000)
《天国への梯子》(2012)は、梯子の角度と間隔を精密に調整することで、梯子は空にも地面にも無限に伸びているように見える。
「天国または地獄に続いていく梯子の作品。草間さんは体調と心の不調のなかで制作しているので、死を身近に感じながら現実世界と死後の世界を結んでいくようなことをこの作品で表現していると思う」(渋田見)。
反対側にある《ゴッド・ハート》(2000)は、タイトルが示すように、ハートのかたちに配置された赤のライトが点滅することで神の心臓の鼓動を表現した作品。その厚さはわずか10センチだが、鏡の反射によって無限の奥行きが感じられる。
《魂の灯》(2008)
草間の代表作シリーズのひとつである「インフィニティ・ミラールーム」は、様々なバージョンがつくられてきた。「2000年以降、草間さんの作品では『魂』という言葉がタイトルによく使われるようになった。この作品では、光が空間のなかで浮遊する草間さんの魂、または一つひとつの命を表現しているかもしれない。光のパターンも意図的で複雑に組められており、草間さんが見せたい世界がここで結実していると言える」(渋田見)。
このほか、日本国内では千葉・木更津にある複合施設「KURKKU FIELDS(クルックフィールズ)」で、鏡と自然光だけを使ったミラールームの作品《無限の鏡の間- 心の中の幻》(2018)も常設展示されている。静岡県立美術館にも、単色のライトを使ったミラールーム《水上の蛍》(2000)が収蔵されており、機会があればあわせて見比べるのもオススメだ。
《大いなる巨大な南瓜》(2017)
最後の展示室では、黒い水玉の巨大な黄色いかぼちゃの彫刻が出現。展示室の床も壁も同じイメージで彩られており、草間作品における遊び心があふれる一面を感じることができる。
草間の黄色いかぼちゃの彫刻は、香川県・直島をはじめ国内各地でも常設展示されているが、同館の《大いなる巨大な南瓜》(2017)は、同じタイプの黄色いかぼちゃの彫刻のなかでは最大のサイズのものだ。同作について、渋田見は次のように話している。
「草間さんは松本時代からかぼちゃの絵を描いていたが、かぼちゃなどの植物を水玉と組み合わせるようになったのは1980年代にニューヨークから帰国後のことだ。そのとき、ニューヨークでは出てこなかった故郷での記憶やイメージが日本の生活のなかでまた浮かび上がってきて、ニューヨークで見出した心のなかの葛藤を具現化させた水玉と、生まれ育った環境にあった植物が結びついていくようになった。草間さんが松本で生まれ育っていなければ、水玉のかぼちゃの作品が生まれてこなかったかもしれない。その意味で、この作品は草間さんの象徴的な生い立ちと制作姿勢が詰まった作品だと思う」。
また、本展の展示構成について渋田見は、「草間さんの原点から現在までではなく、現在から原点の紹介をしたい」と強調する。「現在の草間作品のイメージを持つ方が来場された際、まずは一気にその世界観に入り込んでもらい、そこから原点に出会うことで、もしかしたら新しい気づきが生まれてくるかもしれない」。
会場には作品タイトル以外の説明文は設けられていないため、自由な発想で作品と向き合うことができる。草間の故郷でその作品がつねに鑑賞できる松本市美術館には、世界中から多くの鑑賞者が訪れる。渋田見は本展について次のような期待を寄せている。「草間さんが生まれ育った松本で、何に悩んでどのような環境のなかで苦しんでいたのか、喜びを感じていたのかを肌で感じながら、現在の作品とのつながりを感じとっていただけたら」。