国立新美術館で「生誕100年 森英恵 ヴァイタル・タイプ」が開催。約400点を通じて森英恵のものづくりの全貌に迫る【2/3ページ】

 第2章「アメリカの森英恵」では、メトロポリタン美術館所蔵の作品が展示され、森のアメリカ時代の足跡に迫るものとなる。森は、1960年に訪れたパリ、ニューヨークに刺激を受けたことをきっかけに、日本の美意識について改めて知ろうと、日本美術・文学・そして日本の布地について自ら学び直した。このときの研究成果をもとに、1965年に森はニューヨークで初となるコレクション「MIYABIYAKA(雅やか)」を発表。「East Meets West(東と西の出会い)」と報じられて好評を得、同地の高級百貨店での取り扱いがはじまった。

 また、雑誌『ヴォーグ』の名編集長ダイアナ・ヴリーランドがその才能に気づき、色鮮やかで美しい日本の布を生かした優美な表現を世界中に伝えたことで、森のその後の活躍が決定づけられた。島根県立石見美術館所蔵の《イヴニングアンサンブル(ジャンプスーツ、カフタン「菊のパジャマドレス」)》 も写真家リチャード・アヴェドンによる撮影で『ヴォーグ』に大きく取り上げられ、アメリカ時代の森英恵の活躍を象徴する一作となっている。

森英恵《イヴニングアンサンブル(コート、ドレス)》1968年 ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影:小川真輝
森英恵 《イヴニングアンサンブル (ジャンプスーツ、カフタン「菊のパジャマドレス」)》1966年 ハナヱ・モリ 島根県立石見美術館 撮影: 小川真輝

 第3章「ファッションの情報基盤を作る―出版・映像・表現の場作り」では、自社の成長とともに、新たな情報メディアを立ち上げることで、日本のファッションに関する発信力向上に大きく貢献したハナヱ・モリグループの事業に焦点が当てられる。

 森は、1966年、ファッションハウス森英恵で最新のファッション情報を紹介する媒体である『森英恵流行通信』を刊行しはじめたり、1976年に森の長男が編集長を務め、サブカルチャー誌へと発展する『STUDIO VOICE』の制作をはじめたりと、様々なメディアの立ち上げも行った。さらに1978年には表参道のランドマークとなったハナヱ・モリビルを完成させ、森のショーを開催するほか、ファッションに敏感な人々の交流の場をつくった。

ダイジェスト版「ファッション通信」2025年編集 提供:インファス・ドットコム
設計:丹下健三、撮影:村井修 ハナヱ・モリビル 1978年 画像提供:村井久美(村井修 写真アーカイヴス)

編集部