「私の蝶は銀色に輝くジェット機のイメージよ」。こう語るのは、戦後の復興期にファッションデザイナーとして走り出し、東西の文化を融合させながら活躍してきた森英恵だ。
森は1951年にスタジオを設立。65年にニューヨークで初の海外コレクションを発表し、77年にはパリにメゾンをオープン。オートクチュール組合に属する唯一の東洋人として国際的な活動を展開した。現在は衣装展の開催や若手の育成などを手がけ、「手で創る」をテーマに活動を続けている。
そんな森が半世紀にわたって手がけてきたオートクチュールや映画・舞台の衣装、ユニフォームなど手仕事の作品を通して、激動の時代をしなやかに切り開いてきたその足跡を紹介する展覧会「森英恵 世界にはばたく蝶」が、水戸芸術館現代美術ギャラリーで開催される。会期は2月22日~5月6日。
本展の重要なモチーフとなるのは蝶。森が幼少期を過ごした島根・六日市町には自然の色彩があふれ、紋白蝶が飛び交っていたという。会場では、東洋の美意識と西洋的フォルムから生み出される森の多彩なオートクチュールとともに、蝶をあしらったものにもフォーカス。思い出の原風景からオートクチュールの世界へとはばたいた森の蝶たちをイメージした、体験型の映像作品も展示される。
また初期の仕事からは、パネルや映像を交えて映画衣装を紹介。50年代から60年代にかけて続いた日本映画の黄金期、当時20代の森は浅丘ルリ子や岡田茉莉子、石原裕次郎といった銀幕スターらの数百もの映画衣装をつくり、小津安二郎や吉村公三郎、大島渚といった名監督のもとで多くを学んだ。
また、注目したいのが舞台衣装だ。森はオペラやバレエ、能、歌舞伎のほか、美空ひばりの東京ドーム公演や劇団四季の作品など、数々の舞台衣装を手がけてきた。とくに初めて訪れたニューヨークで見た『蝶々夫人』が描くかよわい日本人女性像は森の反骨精神を奮起させ、その後自らが浅利慶太とともに手がけた同公演は重要な意味をもっているという。
そのほかにも本展では、バルセロナ五輪や大阪万博におけるユニフォームや、50年代に森がファッションデザイナーとしてのキャリアをスタートした新宿の「ひよしや」時代から現在にいたるまでの、語り尽くせない努力の数々を紹介。挑戦を重ねてきた森の半生をたどることができるだろう。