アフリカ人として、女性としての自覚
吉國 なみちえさんにとってのガーナ、アフリカについてもお聞きしたいと思います。これまでに3回ガーナに行かれ、ご自身にとって大きな経験になったとのことですが。
なみちえ 1度目は2005年、小学2年生の春休みに行きました。ガーナの首都・アクラの隣のテマという所にある父の実家に1ヶ月程度滞在して、従兄弟と遊んだりしましたね。
そして2024年、父親と一緒に行って5ヶ月半滞在しました。20年前は言葉が通じなかったけれど、今回はアシャンティ系アカン族という私の民族の言語「チュイ(twi)」を勉強し、日常会話で水を買えるくらいにはなりました。2025年には、3度目の滞在を果たしました。

吉國 最近、サイディヤ・ハートマン著『母を失うこと 大西洋奴隷航路をたどる旅』(榎本空訳、晶文社、2023)を読みました。本作ではいわゆるアフリカン・アメリカンの女性が、自分のルーツを探すためにガーナに行くのですが、結果「ここは自分が帰るための故郷ではない」と認識していくんです。アフリカン・アメリカンとしての経験となみちえさんの経験は異なる前提ですが、ガーナでの受け入れられ方についてはどう感じましたか。
なみちえ 私の「なみちえ」という名前は、ガーナで「gift from god」を意味する祖母の名前「ニャミチェ(Nyamekye)」からとられています。優しい人だったそうで、祖母が住んでいた地域を訪ねると、私のことも「マーミ・ニャミチェ(母なるニャミチェ)」と呼び歓迎してくれました。家族が善行をしていた過去があるから、帰る場所として温かく迎え入れられたんですよね。とてもありがたいことだし、祖母に感謝しなくちゃいけないと感じました。
吉國 その経験は、女性としての自覚とも重なっていったのでしょうか?
なみちえ 確かに、ガーナに行って感じたことですね。私、ガーナでめちゃくちゃモテて(笑)。歩いているだけで1日3人ぐらいから「結婚して」って言われたり、街のあいだをつなぐジャングルを通るときに警察に連絡先を教えるとスムーズに通過できたり。だけどそれは、軽視されているということでもあるんだろうなと思いました。着ぐるみを持たず、外国から来たけどひとりのガーナ人でもある。そういう素の状態でいると、自分はただの女性なんだと気づいてしまって。日本から離れ、女性性を受け入れたことで、これまで経験した男性からのモラハラなどにも自覚的になりました。
なので、アフリカのバイブスを出すことと女性性を認めることは、私のなかでつながっています。この頃つくった曲は、『おまえをにがす』などとは全然違う、女性性が強い質感になっていると思います。
吉國 自分のなかのアフリカ的なものを肯定し、素直に出している雰囲気を感じました。その経験から《隠れるための顔》の制作につながっていくんですね。



















