「戦後80年ー戦争の記憶 戦中・戦後に生きた横浜の人びと」(横浜都市発展記念館 7月19日〜9月28日)

筆者は『忘れられた日本人』(宮本常一著)あるいは、『忘れられない日本人』(小野和子著)という本のタイトルを想起した。それぞれの著者が、日本人とは何かを問い、聞き書きという方法によって、周縁化され、歴史的に見過ごされてきた人々の尊厳を記録した。その視点が本展にも引き継がれているように思われたからである。
本展が取り上げたのは、集団学童疎開を余儀なくされた学童、抑留された外国籍の横浜市民、電話局に務めていた女性局員、戦争孤児などの戦争体験であり、キュレーションは「この人たちのことを忘れないでほしい」という想いに裏打ちされていた。
占領軍と日本人女性のあいだで生まれ、その後は孤児となった「GIベビー」を追った展示はとりわけ力が入っていた。「結局戦争が一番いけないんだけどさ、戦争がなきゃ僕らが生まれてこなかった」と「GIベビー」のひとりであり、施設に預けられた青木ロバァトは話す(本展図録収録のインタビューより)。敗戦国日本と、日本に対しては戦勝国である米国のあいだで引き裂かれた生がある。「日本人」とは何か。そういった問いを彼に突きつけたのが私たちの戦後である。
Mari Endo「あの日のことがいっぱい」(CAFE&SPACE NANAWATA 8月9日〜11月5日)


美術手帖『ブラックアート』特集(2023年4月号)、織田信長に仕えた黒人の弥助が登場する北野武監督の『首』の公開(2023年)など、黒い肌の表象に触れたり、それについて考えたりする機会は日本でも身近なものになってきたのではないか。
そういった状況のなかで、夫の故郷であるケニアのキスムでの暮らしを版画で彫り、家族の容姿を固有色ではなく、赤・青・白という制限された色彩で表現したMari Endoの作品は黒人表象におけるひとつのオルタナティブ、または貴重なバリエーションとして見ることができるだろう。
もっとも、本展の主題は肌の色の表象ではない。Mari Endoは、新型コロナウイルスのパンデミックのときに、かつて暮らしたキスムでの記憶が蘇ってきたのだという。作家は「目にした光景と出来事の記憶で頭が一杯になり、体から外へ出すという意味でどこかへ表現しないと体が熱くなるほどの熱量でした」(本展のステートメントより)と振り返っている。
そうして彫られたのが、水汲み、編みもの、放牧、料理、洗濯、草むしりなどの日々の労働であり、子供たちの遊びであり、葬儀の様子などである。筆者は、人類学者さながらの参与観察を想起したが、目的に沿ってフィールドを出入りする学者や研究者とは違い、Mari Endoがアフリカ人の「家」に「嫁いだ」ことの重みを考えたいと思った。女性たちの仕事の様子が本作では比較的多く記録されているのだ。
北米の黒人女性の聞き書きを行った藤本和子は女性たちの言葉や表情に触れ、「背筋をのばしていたくなるような気分」(『塩を食う女たち 聞書・北米の黒人女性』晶文社、1982)があったという。筆者は、Mari Endoの作品を観て同じことを感じている。
鈴木幹雄写真集 発刊記念写真展「命の記憶ー沖縄愛楽園1975」(沖縄愛楽園交流会館 5月17日〜10月31日)


ハンセン病療養所を撮影した写真家と言えば、趙根在(チョウ・グンジェ)の名前が思い浮かぶ。原爆の図 丸木美術館における大規模な写真展の開催と、回想的自伝の出版が記憶に新しい。
趙は、北は青森県の松丘保養園から、南は鹿児島の星塚敬愛園まで各地の療養所に足を運び、膨大な数の写真を撮影したが、彼が沖縄の療養所を訪ねた記録はない。沖縄が1972年まで米国の占領下であったことと、「同胞の」在日朝鮮人の入所者が居なかったことなどが理由であると考えられる。
いっぽう、鈴木幹雄は沖縄の「復帰」から数年が経過した時期の沖縄愛楽園の人々を撮影した。鈴木は園の外部の人であり、「内地」の人でもあるという点で二重の意味で他所(よそ)から来た人であるが、同園の入所者自治会は鈴木の写真を「自分たちの歴史」を語るものとしている。鈴木の写真は自治会が発行した入所者の証言集にも掲載されているのだ。
趙は闘ってきた人々の尊厳を真正面から記録した。愛楽園の人々もまた闘ってきたのだが、鈴木の写真は闘う人の強張った筋肉というよりは、ふとした瞬間に滲み出る悲哀や寂しさに触れている。人々の笑みが写され、沖縄の光もまたまぶしいのだが、それらが美しければ美しいほど、沖縄と、愛楽園の人々が被ってきた暴力の取り返しのつかない深刻さを突きつけられる。
自治会の小底京子会長は、会場に設置されていた挨拶文で「隔離のなかに生きる悲しみや寂しさを抱えながらも、自分たちの生を少しでも豊かなものにしようとする入所者一人一人の姿がおさめられています」と語る。そういった尊い一人一人のなかに、これまであまり撮影されてこなかった精神病棟にいた人も見える。鈴木の写真には人間の普遍的な姿が写されているのだ。


























