福岡市美術館「あらがう」に見る、奮起する重要性

福岡市美術館では現在、企画展「あらがう」が開催中だ。展示には李晶玉、寺田健人、石原海の3作家による作品12点が並ぶ。会期は12月15日まで。

展示風景より、石原海《重力の光》(2022)

 今年開館45周年を迎える福岡市美術館で、企画展「あらがう」が12月15日まで開催されている。

 同館が開館したのは1979年。当時はやがてくる21世紀は明るい未来のはずだった。しかし21世紀も四半世紀を過ぎたいま、テクノロジーが発達し利便性が向上するいっぽうで、世界各地で戦火は絶えず、環境破壊や経済格差によって多くの人々が苦しんでいる。

 こうした社会状況にいかに立ち向かうのか。それを考えるきっかけを提示するのが本展だ。

 参加作家は李晶玉、寺田健人、石原海の3名。会場は各作家ごとに部屋が割り当てられ、12点が並ぶ。

 李晶玉は1991年東京生まれ。2018年に朝鮮大学校研究院総合研究科美術専攻を修了した。在日朝鮮人3世という立場から、国家や民族に対する横断的な視線を持つ李。絵画とコラージュを組み合わせた手法によって生み出される平面は高い評価を得ている。本展には、22年3月に原爆の図丸木美術館で開催された個展「SIMULATED WINDOW」に合わせて制作されたシリーズの4作品が並ぶ。

 「歴史や戦争に対して、資料や作品から情報を得て、その影響下で想像するに過ぎない。フィクションにせよノンフィクションにせよ、もしくは国家や共同体の持つストーリーにせよ、編集や制作といた誰かの作為の層を通してる。そのレイヤー越しの風景を覗き見ている。国家的な制約も、属性による抑圧も、その檻を自覚しないと「自由」のための抵抗もはじめられない。私の仕事が、観る人の『あらがい』に視点を与えることができれば幸いである」(李晶玉)。
展示風景より

 寺田健人は1991年沖縄生まれ。沖縄県立芸術大学と東京藝術大学大学院を経て、24年に横浜国立大学大学院都市イノベーション学府都市イノベーション専攻博士後期課程単位取得満期退学。ジェンダーや役割など、社会がつくり出した規範を内面化し、人が思考や行動を決定することをテーマに、写真やパフォーマンスを軸に表現している。

 本展では、沖縄の風景と薬莢を組み合わせたシリーズ作品によって、沖縄に残る戦争の傷と記憶を提示し、継承することを試みている。

「沖縄では毎年6月23日の『慰霊の日』にセレモニーが行われて本土でもメディアでも報道されている。一見するとその報道や、観光地としてのリゾート的なイメージによって平和な世界がそこにあるかのようにつくられているが、実際には祈りの儀式が沖縄の内部にとどまるように形骸化されており、戦争から生じた基地問題に起因する多くの課題が残されたままである。むしろ、セレモニーだけが注目されることで現実の問題に人々の目が向かないように覆い隠されているのではないだろうか。
 本作品は、沖縄の土地に残された弾痕などの戦争の傷跡や、戦後返還地に建てられた商業施設などの風景を手がかりに戦争の記憶を読み取る試みである。土地の記憶は私たちが覗き込むことで継承されるし、覗き込もうとしなければ忘れ去られる。一人一人が沖縄戦の痕跡を眼差し、戦争のない未来を考えることが本当の意味での『慰霊』になるだろう。(寺田健人)
展示風景より

 石原海は1993年東京生まれ。東京藝術大学卒業後、現在はロンドン大学ゴールドスミス校MA Artists' Film & Moving Imageに在学している。

 コミュニティや社会から疎外された人々を描くことをテーマに、個人的な記憶と社会問題を織り交ぜた映像作品を制作する石原。本展出品作《重力の光》では、北九州市にあるキリスト教会に集う人々が聖書劇をつくる日々を記録したもので、苦難を抱えながらも懸命に生きる人々の姿を、希望とともに描いている。

 休学していた大学院を卒業するため、ロンドンに戻ってきて一年が経った。北九州とはまったく違う生活にするりと馴染んでしまう自分の都合のよさに驚きながらも、北九州で教会に通っていた生活をときどき恋しく思い出す。こっちに戻ってきてからは一度も聖書を開いていない。でも、罪を犯した気持ちになるくらいのひどい二日酔いで目覚めた日曜日の朝、ふと聖書にあるパウロの言葉が浮かぶのだ。『わたしは、自分のしていることがわかりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。」なんでこんな言葉だけ覚えているんだろうと思いながら、生きるということは罪を犯すことである、という東八幡キリスト教会で学んだ本質に立ち返る。アタシはめちゃめちゃ罪人だ。教会に行かなくなると、その事実をときどき忘れそうになる。パレスチナでの虐殺がはじまり、ついに300日以上が経過した。最初は毎週行っていたデモにも、いまは1ヶ月に1回足を運ぶ程度になってしまった。パレスチナの状況を友人と日々話していたけれど、最近はその頻度も少なくなっている。慣れることの怖さと、なにもできていない自分が情けなさすぎる。毎週教会に足を運ばないと罪人であることすら忘れるような自分にうんざりする。パレスチナ人の虐殺をやめろ。アタシはあらゆる場所でそう叫んであらがうことで、遠い国で起きている現行の痛みに少しだけ追いつくことができる。あらがうためにはパワーがいる。こわがる人もいるかもしれない。アタシだってなるべくならハッピーでいたい。でもそれだけじゃ駄目なんだよこの世界は。この世界の不条理から、虐殺から目を逸らしてはいけない。あらがい続けた人間がいたという事実が歴史化されることに意味があると、ただただ信じる。だからアタシは作品をつくるし、あらがい続ける。罪人だけど。(石原海)
石原海 重力の光 2022

編集部

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