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土と救済。関貴尚評「シアスター・ゲイツ展:アフロ民藝」【2/4ページ】

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 ところで、ゲイツのプロジェクトの多くは、彼が2010年に設立した財団「リビルド・ファウンデーション」の支援によって実現されているが、その使命は、「無料のアート・プログラムを提供し、新しい文化施設をつくり、手頃な価格の住宅、スタジオ、住居兼仕事場(ライブワーク・スペース)を開発することで、アーティストを支援し、コミュニティを強化」することである(*6)。ここで注目すべきは、都市開発事業と見紛うばかりのこの種の大規模なプロジェクトの実現において、ゲイツが自身の作品の販売収益を活用してきたことだ。例えば、「ストーニー・アイランド・アーツ・バンク」の改装資金は、旧銀行のトイレに使われていた大理石板を再利用してつくられた《銀行債券(バンク・ボンド)》(2013)──いうまでもなく、デュシャンの《泉》(1917)と《モンテカルロ債券》(1924)が引用されている──を、ひとつ5000ドルの価格で販売することによって賄われたものである(*7)。つまり、廃材からつくられた作品の売上が、ゲイツのソーシャル・プラクティスの資金源となるのだ。

 このような資金調達の手法は、近年の美術界でブラック・アーティストへの注目が集まる状況を逆手にとっていると言えるかもしれない。美術史家のエイドリアン・アナグノストは、「不動産や都市開発におけるゲイツの仕事は、彼がアーティストであるという身元証明(アイデンティティ)によって推進されており、それにより文化生産の名の下に、投資のための財政支援や物流支援を生みだすことが可能になる」と指摘している(*8)。つまりゲイツは、たんなる「不動産デベロッパー」ではなく、「アーティスト」として都市開発に従事しているがゆえに、通常の不動産デベロッパーでは不可能な資金源へのアクセスを許されているのである。

 実際、ゲイツの都市再生プロジェクトは、作品販売の収益にとどまらず、財団や公的機関から多額の資金援助を受けることによって成立している。例えば2016年には、彼が推進するプロジェクトのひとつである「シカゴアーツ・アンド・インダストリーコモンズ」に対して、JPB財団、ナイト財団、クレスゲ財団、ロックフェラー財団、さらには個人の投資家や慈善団体から1025万ドルもの資金が提供されているが(*9)、これほどの資金調達が可能なのは、「アーティストの社会関係資本」があればこそだろう。こうして、アナグノストが的確に指摘するように、「アーティストの社会関係資本が、政治的・経済的に周縁化された人々に転移され」(*10)、投資の及ばなかったシカゴのサウスサイドが、活気ある文化空間として蘇るのだ。

展示風景より、シアスター・ゲイツがこれまで手がけてきた建築プロジェクトの概要紹介

 ジョン・コラピントによるインタビューのなかでゲイツは、アーティストとしての自身のアイデンティティを活用することを「レバレッジ」という言葉で表現している。

私に電話をかけてきて、私のスタジオですぐに取引ができないかと尋ねてくる人たちは、じつはマーケットについて考えているだけで、彼らが私にレバレッジをかけているように、私もまさに彼らにレバレッジをかけているのだと気づいたのです。(*11)

 「レバレッジ」とは、金融やビジネスの文脈において、少ない投資でより大きな利益を得るための手法だが、要するにゲイツは、ブラック・アーティストとしての社会関係資本に「レバレッジ」をかけ白人富裕層から資金を調達することによって、疎外されたコミュニティへの支援──富の再配分──を実現させているのである。すなわち、ゲイツが美術界で成功すればするほどに、サウスサイドのアフリカ系アメリカ人コミュニティへと資金が還元されるのだ。ゲイツは、ブラック・アーティストとしての自身のアイデンティティに商品価値があることにきわめて自覚的な作家なのである。

 そしてこのことは、ゲイツが白人社会のなかで黒人として生きざるを得ない、アフリカ系アメリカ人の二重性と抜き差しがたく結びついているように思われる。以下に引くのは、W・E・B・デュボイスの『黒人のたましい』(1903)からの一節である。

アメリカの世界──それは、黒人に真の自我意識をすこしもあたえてはくれず、自己をもう一つの世界(白人の世界)の啓示を通してのみ見ることを許してくれる世界である。この二重意識、このたえず自己を他者の目によってみるという感覚、軽蔑と憐びんをたのしみながら傍観者として眺めているもう一つの世界の巻尺で自己の魂をはかっている感覚、このような感覚は、一種独特なものである。彼はいつでも自己の二重性を感じている。──アメリカ人であることと黒人であること。〔……〕 

アメリカ黒人の歴史は、この闘争の歴史である。すなわち、自我意識に目覚めた人間になろうとする熱望、二重の自己をいっそう立派な自己に統一しようとする熱望の歴史なのである。この統一の過程で、彼は、古い自己のいずれも失いたくないと望んでいる。(*12)

 いっぽうで白人社会で白人と対等に評価されること、他方で黒人としての自尊心を失わずにいること──この引き裂かれた「二重の自己」を生き抜くことをアメリカ黒人たちは強いられている。ブラック・アーティストとして白人の美術の世界で高い評価を受けつつ、その資本を黒人コミュニティへと還元するゲイツの戦略は、そうしたアフリカ系アメリカ人の「二重意識」として理解されるべきだろう。それはまた、いわゆる芸術作品に基づく実践のレベルで言えば、白人の文化形式──デュシャンから、フランク・ステラ、ジョセフ・アルバース、カラー・フィールド・ペインティングなどのモダニズム芸術に至るまで──を流用しつつ、アメリカ黒人史を語る手法にも明らかに読みとることができる。したがって、アフロ民藝というハイブリッド(混淆的)な概念もまた、何よりもまず、抑圧システムに抵抗して境界を行き来するこの二重性との関連においてこそ把握されなければならない。

編集部

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