
「共同体」をめぐるリダイレクトループ。 仲山ひふみが見た、梅津庸一「共同体について」展
パープルーム主宰の梅津庸一がキュレーションを手がけた展覧会「共同体について」が、東京・天王洲のURANOで開催された。通常のグループ展とは異なるアプローチで、多様な背景を持つ作家による作品を展示した本展について、批評誌『アーギュメンツ』でも活動する若手批評家・仲山ひふみが論じる。

パープルーム主宰の梅津庸一がキュレーションを手がけた展覧会「共同体について」が、東京・天王洲のURANOで開催された。通常のグループ展とは異なるアプローチで、多様な背景を持つ作家による作品を展示した本展について、批評誌『アーギュメンツ』でも活動する若手批評家・仲山ひふみが論じる。

関東大震災から太平洋戦争直前の東京を歩き回り、その日暮らしの生活のなか、街の息遣いを描いた長谷川利行。その新出作品、近年の再発見作、代表作を含む約140点が集まる回顧展が府中市美術館で開催中だ。「放浪の天才画家」のイメージとともにある長谷川の作品を、美術批評家の沢山遼が分析する。

第116回
タカ・イシイギャラリー東京で開催されたスターリング・ルビーの個展「VERT」と、URANOで開催された渡辺豪の個展「ディスロケーション」を清水穣がレビュー。コラージュと、その母体となったコンストラクションのふたつの手法に焦点を当てて論じる。

厚塗りの絵具によって力強い人物の顔を描いてきた小村希史が、新境地となるシリーズ「Subtract(取り去る、差し引く)」を東京・神宮前のThe Massで発表した。東日本大震災を経て大きな変化を見せた画家の個展を、東京都現代美術館学芸員の藪前知子がレビューする。

時間と空間におけるドローイングの可能性を探求し続ける鈴木ヒラクと、絵画の構造を模索してきた清田泰寛。制作姿勢や個性が異なるふたりの作家の個展から、“ドローイング”の多様な可能性に迫る。

広島のアートギャラリーミヤウチにて、1960〜80年代に地元作家の重要な活動拠点であった「画廊 梟(ふくろう)」の関連資料・作品による展覧会が開催された。コレクションの紹介にとどまらず、オーナーであった志條みよ子の表現に対する姿勢を新たな観点から伝えた本展を、広島市現代美術館学芸員の松岡剛が論じる。

第116回
美術家・建築家の秋山佑太、若手作家ユニット・カタルシスの岸辺による企画展「Super Circulation/超循環」が神宮前の新ギャラリー「EUKARYOTE(ユーカリオ)」にて開催された。「循環」をテーマにした本展を、椹木野衣がレビューする。

絵具を⽷のように垂らして重ね、ときにはそれらを⽣乾きのうちに吹き⾶ばす手法によって、緻密でしなやかな佇まいを持つ絵画を手がけてきた髙畠依子。これまでの手法に加え、水や重力の働きといった偶然性を取り⼊れた新作を発表した髙畠の個展を、美術批評家の沢山遼がレビューする。

戦前から戦後にかけての美術動向に大きな影響を与えた阿部展也(あべ・のぶや、1913-71)の大規模な回顧展が、広島市現代美術館で開催されている。戦前の前衛写真の運動において重要な役割を果たしたほか、シュルレアリスム、アンフォルメル、幾何学的抽象など、時代を追うごとに画風の変転を遂げた阿部。その歩みを総覧する本展に、画家の諏訪敦が迫る。

江戸時代中期、与謝蕪村とともに南画を大成させた池大雅(いけの・たいが)。京都に生まれ、日本各地を訪ね歩いた大雅の、初期から晩年にいたる代表作を一堂に集めた本展は、じつに85年ぶりの大回顧展だ。豊田市美術館学芸員の鈴木俊晴が、その今日的意義を問う。

ベルリンを拠点に活動するオーディオビジュアル・アーティスト、黒川良一。2010年アルスエレクトロニカにてデジタル音楽 & サウンドアート部門の大賞を受賞するなど、海外を中心に映像と音を用いたインスタレーション作品を発表してきた。日本では初となった黒川の個展を、サウンドアート研究の金子智太郎がレビューする。

同時期に阪神間に生まれ、画家として活躍した小磯良平と吉原治良。人物画を得意とし、名実ともに日本を代表する画家となった小磯と、戦後日本の前衛美術を牽引した具体美術協会の主宰として、数多くの抽象絵画を手がけた吉原。対称的なふたりの画業を振り返る展覧会に、インディペンデント・キュレーターの長谷川新が迫る。

バーナーで焦がした巨大な杉板と、木炭でモチーフのかたちを取りそれをうろこ状に線刻するという独自の手法で大作を生み出してきた岡村桂三郎。この岡村の新作を含む作品群を紹介する美術館個展「岡村桂三郎展−異境へ」を、太田市美術館・図書館学芸員の小金沢智がレビューする。

山口情報芸術センター[YCAM]が、映画監督の三宅唱との共同制作によるインスタレーション《ワールドツアー》を発表する展覧会を開催中。三宅やYCAMのスタッフらがスマートフォンで撮影した日常の映像をもとにした本作について、アニメーション評論家の土居伸彰が論じる。

現代美術のキュレーターを主人公にした映画『ザ・スクエア 思いやりの聖域』が4月28日より公開されている。本作は、美術館を舞台に、現代美術あるいは人間の本質に迫る映画として話題を集め、第70回カンヌ国際映画祭で最高賞のパルムドールを受賞。この映画を、東京都現代美術館学芸員として数々の展覧会を手がけてきた藪前知子がレビューする。

印刷物やウェブサイト上の写真にわずかに写り込んだ「正体不明の何か」に目を向け、調査することで「写されたもの」の認識を問う澤田華。ある本に掲載されていた一人のコメディアンの写真を扱う最新作を、愛知県美術館学芸員の副田一穂が考察する。

「アンディ・ホープ1930」という名前を活動初期から使い続け、2010年には実際に改名まで行ったアンディ・ホープ1930。その日本初となる個展を、国立西洋美術館研究員の新藤淳がレビューする。

身体性や女性性をテーマに映像インスタレーションなどを手がける稲垣智子の個展「デカルコマニー/Decalcomanie」が、The Third Gallery Aya(大阪)で開催された。作家自身の過去作品を引用しながら構成された本展を、関西を拠点とし、稲垣の展覧会で企画を担当したこともある若手美術批評家、高嶋慈が論じる。

大阪・西成区に古くからある町工場や商店などをリサーチし、約2年にわたるプロジェクトを行った青田真也の個展「よりそうかたち」。ものづくりに携わる人々や、その作業の痕跡、また使われる道具などを通して、作家は「もの」の価値をどのようにとらえなおし、社会へと接続するのか。

穏やかな色彩が折り重なる絵画。あるいは、食パンをキャンバスに、バターや食材が抽象的な画面をつくる作品など、多彩な手法を通して絵画の可能性を探求してきた益永梢子。作家が近年取り組む、アクリルボックスとキャンバスからなる作品を中心に構成された展覧会を美術批評家・沢山遼がレビューする。