髙畠依子「泉」展 関係から破れへ 沢山遼 評
何をどのように描くべきか。いま、画家であろうとする者ならば誰もが直面する問いに、髙畠依子は新たな技術開発を行うことによって応える。彼女の絵画は、テキスタイルの網状組織を画面に導入することから始まっている。蜘蛛が糸を吐き出しながら網をつくるように、髙畠は糸のように細く絞り出した絵具を網状に重ねていく。
髙畠の作品について考察する前に、まず彼女が、画家であると同時に、バウハウスやブラック・マウンテン・カレッジで夫ジョセフ・アルバースとともに教鞭をとったアニ・アルバースの研究者でもあるという事実を確認しておくべきだろう。アニ・アルバースもまた、日常的な用途を持たない、壁掛けの「絵画」としてのテキスタイルを制作した。髙畠とアニに通底するのは、テキスタイルと絵画を横断し、両者を統合しようとする意志である。例えばアニ・アルバースがテキスタイル作品で行ったのは、絵画の支持体と視覚表象とを一致させることだ。ブラック・マウンテン・カレッジの学生だったケネス・ノーランド、そして1950年の夏に同校を訪れたヘレン・フランケンサーラーによるステイニング(*1)の開発が、画布と視覚表象の一致という目的に基づくものであったとすると(不当にもアニがそのように評価されることはないが)、ステイニングの起源は、アニの存在なしには考えられない。
ところで編物、織物とは網状組織=ネットワークであり、絵画のキャンバス地が、布という織物からつくられるとすると、髙畠の行為は言わば、支持体の再発明を行うことであるだろう。ゆえに絵画のキャンバスの上にもう一層のネットをつくり出す髙畠の絵画とは、支持体の上に支持体を重ね、インフラストラクチャーの上にもう一層のインフラストラクチャーを重ねることにほかならない。言い換えれば髙畠の絵画は、いわゆる地と図からなる絵画という図式を放棄している。それは支持体となる画布の上に絵具による布をかぶせることであり、さらには布と絵画という2つのメディウムを重ね合わせることでもある。その意味で髙畠の絵画は、テキスタイルと絵画という2つのメディウムを、織り合わせ、縒り合わせる。網の絵画は、文字通り複数の技術体系のネットワークであり、また、複数の技術体系の翻訳と中継の場である。
ブラック・マウンテン・カレッジが、まさにそのような場であった。例えば同一単位のネットワークからなるバックミンスター・フラーのフラードームが、ブラック・マウンテンで初めてつくられたことの意味は大きい。アルバースのテキスタイルの技術は、テキスタイルのみに閉じることなく、ノーランドの絵画、フラードーム、ケネス・スネルソンの彫刻のテンセグリティー、ルース・アサワの網状彫刻などに開かれ、再発明されていったのである。ブラック・マウンテンにおいて共有され、追求されていたのは、美と構造、すなわち芸術とエンジニアリングの共約可能性である。自然が美と構造を区別しないのと同じように、そこでは、技術と芸術は区別されない。髙畠の絵画における技術開発、支持体の再発明もまた、その思想を引き受けようとするものである。
今展では、従来のネットの絵画に新たな動きが付け加えられた。ネットに破れと乱調がもたらされているのだ。今回の新作群では、キャンバスではなく油絵具を塗ったパネルに金網を押し当て、網目状の支持体をつくることが試みられたという。さらに、その支持体を囲む浅い貯水装置をつくったうえでパネル表面に水を張り、その水面に絵具の糸を引いていく。絵具の糸は水面を漂いつつ、やがて沈んでいく。さらに、沈み込んだ絵具が支持体に定着するまでの間に水流や風圧といった外圧を加え、ネットが様々に乱調する様態をつくりだした。今展の個展タイトル「泉」はそのことと関係しているだろう。その意味で今展の作品群は、水や風、重力や引力といった眼に見えない「力」との協働からなる作品であると言える。
「泉」というタイトルが示唆するのは、マルセル・デュシャンとの関係である。ここからただちに想起されるのは、デュシャンが紐を画布の上に落下させてつくった《ストッパージュのネットワーク》(1914)である。髙畠の網と同じく、デュシャンの網もまた、偶然と重力による「弱いつながり」を示すばかりだ。また、デュシャンが「ファースト・ペーパーズ・オブ・シュルレアリスム」展(1942)において、展覧会場全体に紐の網を張り巡らせ、会場全体の進路と作品同士の交流に分断と障害をつくりだしたことも想起されるべきだろう。ネットワークは通常「関係」「つながり」を示す。だが、デュシャンのネットはむしろそうしたつながりを遮断する。
従来の髙畠の作品平面が、顕密なネットワークによる絵画をつくりあげようとしていたのだとすれば、今展の作品群にみられるのは、破断と切断、乱調と破れという、つまりは「関係」からの積極的な後退である。そこに、インターネットを含め、過剰に関係すること、ネットワークの過剰に囚われた我々の現実への批評をみることはそれほど的外れなものではないはずだ。むしろ、髙畠の作品にテキスタイル=工芸技術の反映ばかりをみるのは見当違いである。その点において髙畠のネットの破れは、関係=つながりと破れ=孤立とのあいだに緊迫した状態をもたらすのであり、結果として髙畠の絵画は、関係とともに孤立を、あるいは切断、破れを擁護するものとなる。そこに見出されるのは、「接続と切断を縫合することは可能か」という──我々自身がいま乗り越えるべき課題でもある──きわめて現代的かつ切実な命題にほかならない。
脚注
*1──下地の施されていないキャンバスに薄く溶いた絵具を染み込ませる技法のこと。