「岡村桂三郎展-異境へ」 見つめられることで見つめ返す世界 小金沢智 評
岡村桂三郎の絵は、しばしば人が対象を認識できる範囲を大きく超え出たサイズによって一見何が描かれているのか即座に理解されないが、描かれているものが重要ではないわけではもちろんない。
首都圏の公立美術館の個展としては神奈川県立近代美術館 鎌倉館(2008)以来10年ぶりになる平塚市美術館での本個展「異境へ」の構成は、岡村にとっては比較的小さな作品(といっても、235×660×8.3cmの決して小さな作品ではない)を導線の最初に配し、次第に背たけと横幅を巨大化させていくものだが(350×1200×8.4cmというのが本展での最大である)、このことは、作品と鑑賞者との距離の遠近に関わっている。「洞窟のような」という岡村のインスタレーションを評するときの形容が常套句としてあるように、狭い空間から緩やかに広がりを持たせていく展示構成は、鑑賞者と作品との距離を近距離から遠距離へと押し広げていくことで、作品への視線の変化をチューニングさせる機能を持つ。近距離から見つめざるを得ない冒頭での鑑賞は必ずしも描写の全体像を明らかにさせるものではないが、そこに何かが描かれているという気づきこそがまず岡村の絵にとって重要なのである。「鱗のようなもの」や「目のようなもの」という、断片的な「ようなもの」の連続が、突如としてきわめて巨大な「生きもののようなもの」と認識を一変・拡大させられる瞬間。そして、そう気づいてからこそが、岡村の絵を見ることの本当の始まりにほかならない。
例えば、岡村の絵画に頻出する龍は、岡村が樹木のフォルムを見つめるなかで大気の循環に思い至り、地中から発散された蒸気が龍の発生を連想させると、描かれることになったモチーフである。すなわち岡村は自然の体系を龍を媒介として表現しようとしたのだが、のちにその龍とともに迦楼羅(かるら)を描き始める。迦楼羅とは、インド神話における巨大な鳥の神であり、龍を常食とするという。岡村は龍を食べる迦楼羅を主題に加えることで、龍という架空の動物(神獣)を絶対的なものとみなさず、世界を構成するひとつの要素として位置づけた。このほか、本展では、魚、蛸、鬼、または仮面のようなものが、龍や迦楼羅とともに鑑賞者をまさしく取り囲む。とりわけ近年の岡村の作品で、モチーフを問わずきわめて象徴的に描かれるいくつもの、ときにおびただしい数の眼は、それらの存在だけではなく、鑑賞者もまたその世界の住人のひとりであると訴えかけているかのようだ。岡村にとって眼とは「理性の象徴」(本展図録より)であるというが、鑑賞者はさながらその「理」(ことわり)に見つめられることでこの世界を見つめ返す(直す)のである。
さて、岡村が、バーナーで焦がした巨大な杉板を支持体として、動物や神獣、霊獣などのモチーフをスクレーパーで線刻する手法で描く作品を発表し始めるのは、2003年のコバヤシ画廊での個展を端緒とするが、本展ではそれ以前の作品も数点出品されている。それらタブロー状のものから半立体的と言えるものまで、とくにその物質感は、現在の岡村のスタイルの一端がそのキャリアの初期から発現していたことを示していると言えるだろう。だが注目すべきはそれだけではない。「第12回創画会展」に出品し創画会賞を受賞した《肉を喰うライオン》(1985、練馬区立美術館蔵)に関して岡村は、その発想源について、捨てられた本に掲載されていたライオンが肉を食べている写真であると語り、またライオン自体への関心についてレオナルド・ダ・ヴィンチや靉光らの作品からの感化を述べているが、ここに食べるものと食べられるものという龍と迦楼羅の関係と同様の自然の摂理に対する岡村の関心が、若かりし頃から見出せることを発見できないだろうか。そしてライオン(獅子)というモチーフは、岡村の仏教美術への関心から、白象を召喚する。青獅子に乗る文殊菩薩、白象に乗る普賢菩薩という、釈迦三尊像からの発想であり、白象もまた岡村にとって非常に重要なモチーフになっていくのである。作品の表現手法や形態が変わっても、連鎖していくモチーフの重要性については、今後、本展よりも初期作品を多く含めた回顧的な展覧会で検証すべきことだろう。
岡村の作品を見るとき、わたしたちはしばしば、その大きさや物質感に気圧され、ときに没入する。そしてそれは、岡村の作品にあたっての非常に重要な要素にはちがいない。しかし、見落としてはならない。そこに何が描かれているのか? 蠢めくかのような動物たちの集合と彼らの眼が伝えるのは、あなたもこの自然の一部であり、そのなかで他者との関係性を見つめ、より世界に対して開かれよという警句であるかのように私には思えるのである。