小村希史展「大きな船」 破壊とその可逆性としての絵画 藪前知子 評
東日本大震災が起きたあの日、テレビで世界中に流れたあの風景を描き留めた画家は、恐らく多くいたはずである。私が、世間の目に触れられることのない、それらの絵の存在に思い至ったのは、小村希史がその年に開いた個展に、チャリティーという名目で出品していた小さな100枚ほどのドローイングを見てからだった。そこには、あの夜、あの光景をテレビで見た画家が、衝動のままに鉛筆を走らせた線の束が刻まれていた。ある一片では乱れた線の集合であったものが、他の一片では、奥行きらしいものを暗示させている。目の前で起こっている世界の崩壊に、描くことで抵抗しようとする画家の無我夢中の動きが刻印されていた。
小村希史はこれまで、人体、とくにバストアップの人物の顔を主なモチーフとした迫力ある絵画を手がけてきた。その肉体は多くの場合、部分的に崩壊しており、絵具という物質がつくるかりそめの一瞬を強烈に印象付けた。人間の物質性と絵画の物質性が交差する瞬間と言ってもいい。それは同時に、物質としての肉体/絵具を依代とする生命が、死と崩壊とつねに隣り合わせにあることを暗示するものでもあった。しかし震災後しばらくして彼は、そのようなモチーフを描くことをやめてしまったという。
東日本大震災直後、絵画が描けなくなってしまったというある画家は、物質に対する感覚が変わってしまったのだと私に告げた。街も人もすべてが、物理的な力に屈するただの物質であるということを、あの光景は露呈させた。小村の場合も、絵画を描くことで彼が掴んできた感覚を、現実が凌駕してしまったのだと想像する。彼はそれを乗り越える何かを探し、しばらく発表の機会を持たずにきた。数年の歳月をかけて彼が出した答えは、もはや肉体の表象という媒介物を経ず、絵画という物質に直接挑むというものだった。
大胆な筆致で描かれたこれらの絵画は、積み上げた絵具を荒々しく削り取ることで生み出された。その勢いある直線の帯状の流れは、作者のストロークが、意思を宿すのではなく、画面に作用する物理的な力でしかないことを示している。小村はこの、構築よりも欠落によってつくられる絵画について、アメリカに暮らし、その文化に親しく接した時間を経て、日本人による絵画とはどのように可能であるかを模索してきたひとつの帰結であったと語る。彼はまた、展覧会に合わせて出版されたドローイング集『小さな船/Small Ship』のステイトメントの中で、不完全なもの、断片的なもの、不安な状態が美しく、何か物事を乗り越えるときのヒントになりうるのではないかと述べている。この地で生み出される絵画は、頻繁に起こる震災も含めたこの地の自然環境に条件付けられる。描くということは力の行使であり、その力が、あの日、私たちが見たあの強烈な力ともつながっていることを、小村は震災の夜のスケッチから今日に至るまでの試行錯誤のなかで、画家として引き受けたと言えるだろう。
さて、小村の過去の作品が示していたように、物質性を生々しく露呈させる欠落の感覚は、絵画の強度を生み出すための一つの要素である。しかし、今回の作品の画面を観察して気づかされるのは、力によって寄せられた絵具という物質が、たんなる破壊の跡を示すのではなく、隣接する領域を侵犯し新しい現象を生み出しているということだ。絵画の成立は、生成と崩壊の物質的な拮抗に賭けられている。崩壊とその可逆性が同時に示されること、巻き戻せない時間に抵抗すること。それは、小村の震災直後のドローイングがそうであったように、絵画という手段による、私たちの生を条件づけている物質性への抵抗と言えるのではないだろうか。震災を表象するのではなく、数年の沈殿を経てたどり着いた物質的、身体的感覚の変化を可視化した絵画の現れに、これから生み出されるであろう多くの表現の一つの兆候を見たいと思う。