「正倉院宝物──古代の輝き」
奈良・東大寺大仏殿の裏手に位置する校倉造りの宝庫・正倉院。聖武天皇ゆかりの品々をはじめ、約900点におよぶ様々な宝物が納められ、今日まで守られてきた。「正倉院宝物──古代の輝き」では、いわば天皇の権威によって伝えられてきた宝物を紹介している。

展示室の中央で展示されてる《七條褐色紬袈裟》(中国・唐時代または奈良時代、8世紀)は、「国家珍宝帳」は756年に光明皇后が聖武天皇の遺愛の品として献納された袈裟)法衣)で、布を七列に仕立てる七條という形式で仕立てられている。由来は不明な点も多いが、インドの高僧が所有していた品という記載もあり、いずれにせよ聖武天皇が仏教に深く傾倒していたことを伝える品だ。

《螺鈿紫檀琵琶》(中国・唐時代または奈良時代、8世紀)は、螺鈿で装飾された四元の琵琶だ。槽(胴)はシタン製、背面には夜光貝を用いた螺鈿やタイマイの甲羅によって、唐草や迦陵頻伽(上半身が人、下半身が鳥の生物)、鳥、雲、古代ペルシアに起源をもつ琵琶は、当時の日本と大陸との交易の姿を想像させてくれる。

《臈纈屛風 羊木屛風・熊鷹屛風》(奈良時代、8世紀)は黄色に染めた平絹に蝋で防染して茜を重ね染めして文様を描いたニ扇の屛風。羊木屛風は幾何学模様を身体に描いた羊に樹木や花を、熊鷹屛風は大きな鷹とともに麒麟やイノシシを描いている。羊の角は大きく、鷹の冠羽も長いため、大陸に生息する種類であることがうかがえるが、本品は舶来品ではなく日本でつくられたものだ。当時の国内にもたしかな技術が確立していたことを知ることができる。

《密陀彩絵箱》(奈良時代、8世紀)は、円形の唐花文様を配し、そのあいだを菱形の唐花文で埋めた長方形の印籠蓋造の箱だ。経年により退色はしているが、赤、黄、紫、碧、青が彩色に用いられており、当時の華やかな姿を想像させる。
「明治──帝室技芸員の誕生」
明治時代になると、皇室と美術の関係はいっそう深まり、展覧会への行幸や作品の買い上げのほか、皇室による美術工芸の保護と奨励、顕彰を行う帝室技芸員の制度も設けられた。「明治──帝室技芸員の誕生」では、この帝室技芸員たちの作品を中心に紹介している。


展示室には、森寛斎《古柏猴鹿之図》(1880)、幸野楳嶺《雨中嵐山》(1882)、川端玉章《群猿之図》(1890)といった吉祥図像や風景といった伝統的な画題を描いた作品が並ぶ。なかでも荒木寛畝の《孔雀図》(1890)は迫力ある作品で、1890年の第三回内国勧業博覧会で妙技二等賞を受賞、宮内省に買い上げられた作品だ。細部まで描写された孔雀の羽と、足元の岩の豪放な筆致の対照的な表現も印象に残る。
展示室の最奥部には、高橋由一《御物 明治天皇御肖像》(1880)、五姓田義松《御物 昭憲皇太后御肖像》(1879)、荒木寛畝《御物 英照皇太后御肖像》(1879) が並べて展示されている。明治以降、西洋にならって皇室でも写実的な肖像画を必要とされたことから、明治天皇、昭憲皇太后、英照皇太后を描いたこの3作が描かれた。黎明期の日本洋画を代表する高橋と五姓田に加え、日本画から洋画へと転向していた荒木が制作している。

明治時代の皇室により収集された洋画は重厚な色調を持つ、伝統的な旧派のものが多い。アントニオ・フォンタネージに学び、本格的な西洋絵画の技術をいち早く習得した日本人のひとりである松岡壽による《ベルサリエーレの歩哨》(1887)。イタリア統一のために活躍したベルサリエーレ部隊の兵士を写実的な陰影で描いている。

佐久間文吾の代表作である《和気清麿奏神教図》(1870)は、奈良時代の貴族・和気清麻呂を描いたもの。神託を天皇に献上する緊張感あふれる場面を、写実的な描写で表現している。いっぽうで、少ないながらも黒田清輝《瓶花》(1912)のような新派の作品もあり、黎明期の洋画と皇室の関係の深さをうかがい知ることができる。

重要文化財の《菊蒔絵螺鈿書棚》(1903)は、図案を六角紫水、蒔絵を川之邊一朝、金具を海野勝珉が手がけた書棚だ。構想から完成まで11年の歳月を費やした、明治期を代表する蒔絵作品で、天板から厨子の内部まで意匠が途切れずにつながっている、高い技術が発揮されている。
日本の美術の歴史と皇室との関係性を、実作を見ながらたどることができる本展。貴重な作品を目にすることができるだけでなく、権威から与えられていた美術の役割がどのようなものだったのかを、構造として理解できる意義深い展覧会と言えるだろう。
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