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「吉田璋也のデザイン ― 新作民藝運動がめざした未来」(パナソニック汐留美術館)開幕レポート。「民藝の母」のデザインをたどる【2/3ページ】

柳宗悦との出会いから、中国での活動まで

 展示は序章と6つの章、さらに特別展示で構成され、吉田の活動を時代順にたどる。

 序章「美の標準―鳥取民藝美術館」では、吉田が収集した古今東西の民藝品を紹介。吉田は柳宗悦が提唱した「美の標準」を具体的に示すため、日本だけでなく、中国や東南アジア、西洋などの工芸品を収集し、1950年にはそれらを公開する場として鳥取民藝美術館を開館した。

展示風景より、左は《木綿地筒描橘文夜着衣》(18〜19世紀)

 会場には、鳥取に伝わる藍染の《木綿地筒描橘文夜着衣》(18〜19世紀)や、島根県松江周辺で親しまれてきた《出雲 ぼてぼて茶碗》(19世紀)などが並ぶ。川北によれば、ここでは個々の作品の詳細な解説をあえて抑え、形態や色彩、装飾の美しさを鑑賞者自身の目で感じてもらう構成としている。

 続く第1章「白樺の森に遊ぶ―理想に目覚めた青春の日々」では、吉田の思想形成をたどる。1898年に鳥取市で生まれた吉田は、新潟医学専門学校で学ぶなかで白樺派の思想に影響を受け、学生時代には式場隆三郎らと雑誌『アダム』を刊行。1920年には千葉県我孫子の柳宗悦を訪ねている。会場には、岸田劉生が表紙装幀を手がけた『アダム』や、柳を囲む吉田と式場の写真などが展示される。

第1章の展示風景より

 第2章「用から美を紡ぐ―鳥取からはじまる民藝のデザイン」では、1931年に鳥取で医院を開業した吉田が、地元の職人たちと始めた新作民藝運動を紹介する。その特徴は、古い民藝品の価値を認めるだけでなく、地域に伝わる素材や技法を現代の生活にふさわしいものへと再構成した点にある。翌32年には販売拠点となる「たくみ工芸店」を開店し、新たな工芸品を人々の暮らしに届ける仕組みを築いた。

 第3章「邯鄲の夢に漂う―中国の地で見たもうひとつの民藝」では、1938年に軍医として中国北部に派遣され、その後、北京を拠点に1945年まで現地の工芸家らと活動した時期に焦点を当てる。

 この経験は、戦後の吉田のデザインにも影響を与えた。その一例が《中国風曲木肘掛椅子》(1940年代)だ。中国の伝統的な椅子「圏椅(クァンイ)」の系譜を受け継ぎ、曲線を描く肘掛けや足置きを備えた作品で、現存する作例のなかでも古いものと考えられている。

編集部