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「再編する ― NAMコレクションの現在」(長野県立美術館)会場レポート。地域の歴史としてのコレクションを新たなかたちで見せる【3/3ページ】

長野の作家から地域の歴史を再読する

 第3章「歴史を再読する」では、長野の近現代の歴史を背景に、長野を舞台に展開された芸術運動を美術館のコレクションからたどる。

左が池田満寿夫が見たという丸木位里・丸木俊《原爆の図》の三部作(1950)の長野市巡回時のチラシ。右隣は池田満寿夫《真昼の人々》(1955)

 版画や絵画をはじめ、多彩なジャンルで活躍した池田満寿夫(1934〜1997)は旧満州に生まれ、戦後長野市に引き上げた。長野県のとくに南信地域は農村の人口過剰により満州に多くの開拓団を送り出した地域であり、その歴史を記録し伝える満蒙開拓平和記念館も下伊那郡阿智村にある。池田は実作に満州生まれという自身の来歴を明確に反映させていたわけではないが、こうした長野と満州に横たわる歴史の一片に池田を位置づけることで、作品を見るための新たな批評眼が得られるだろう。

手前が松澤宥《のぞけプサイ亀を翼ある密軌を》(1962)

 諏訪を拠点に国内外で活躍し、日本の概念芸術の先駆者となった松澤宥(1922〜2006)は、早稲田大学で建築を修めたが、卒業後は諏訪で教師をしながら反物質的な芸術へと傾倒していく。終戦の翌年、松澤が大学を卒業した1946年に書かれた《「光・風・夢に寄せて─美の果敢なさと廃墟(Ruins)に就ての浪漫的断章」》には、「形態を信じない」という言葉が登場している。松澤のこうした概念が、倫理も物質も破壊した戦争への眼差しから来ているのではないか、という問い掛けがここではなされている。

左から上野誠《ヒロシマ三部作 鳩》《ヒロシマ三部作 女》《ヒロシマ三部作 男》(すべて1959)の3枚、《戦争はもういやです》(1952)

 上野誠(1909〜1980)は、戦後の労働者や社会的弱者に焦点を当てた、社会批評性の高い木版画を制作した版画家だ。その作品は、長野市の私設美術館である「ひとミュージアム上野誠版画館」で展示されていたが26年3月に閉館となった。長野県立美術館は閉館にあたり上野誠をはじめとした約250件の作品や資料を収蔵。散逸を防いだ。

村山槐多《猫を抱ける裸婦》(1916)。村山は信濃デッサン館のコレクションの中心となっていた作家。画家であり詩人として活躍したが、わずか22歳で世を去った

 同館は、戦没画学生の作品を専門的に収蔵する「無言館」に隣接しており、2019年に閉館した、夭折した画家の素描や絵画を展示する美術館「信濃デッサン館」のコレクションの収蔵も実施。会場では収蔵した素描のコレクションとともに、「無言館」の設立に奔走した画家・野見山暁治(1920〜2023)の作品も展示されている。

 こうした同館のコレクションと呼応するかのように、同館の周辺地域でリサーチを行い作品を制作したのが佐藤朋子だ。佐藤は1990年長野市生まれで、リサーチをもとに物語を構築し、レクチャーや語りを創出する美術家だ。

佐藤朋子《もみじちゃん─鬼女と水ともうひとつの東京》(2026)。左は作中で制作した、こっぱ(木片)人形の展示

 出品作品《もみじちゃん─鬼女と水ともうひとつの東京》(2026)は、長野市西北の鬼無里(きなさ)を舞台とした「鬼女紅葉伝説」が要素のひとつとなる。平安時代に都から信濃国へ流された貴族の女・紅葉が、望郷の念から「鬼女」となり荒らし回るが、最後は平維茂によって退治されるという伝説だ。佐藤は紅葉を魅力的な人物「もみじちゃん」ととらえ、彼女と旅をする。第二次世界大戦時に本土決戦に備えて軍部が設えた巨大な地下壕「松代象山地下壕」や、洋画家の山本鼎(1882〜1946)が上田市で提唱した「農民美術運動」と「こっぱ(木片)人形」などに触れながら、その旅は映像作品としてまとめられた。物語の想像力が、展示室のコレクションに象徴される歴史をつなぎ合わせる手つきであることが、本作からは伝わってくる。

 地方の公立美術館に対し、入場者数をはじめとする目に見える成果が求められるようになり、収蔵品の予算も削減されている現在、いかにコレクションを形成し、その歴史的文脈とおもしろさを伝えていけるのか。本展は現代の美術作家の手を借りながら、その困難な課題と向き合いつつ、未来への展望を示すものとなっている。

編集部