ミューズ・千穂との出会い
50歳を過ぎると作品はより大型化し、自由な画風が際立つようになる。「第3章:想いのままに -完成期・昭和50年代-」で展示されている《海と戦さ(平家物語より)》(1975)は、壇ノ浦の合戦を圧倒的なスケールで描いた大作であり、牧野作品においても見逃せない傑作だ。


また、本章で欠かせないのが、牧野のミューズであり、のちに夫人となる千穂の存在だ。50歳を過ぎた牧野の前に突如として現れた千穂を、本人は「悪魔に祈って得たモデル」と称したほどであり、牧野の創作意欲を大きく刺激した。会場内には、彼女を描いた作品がずらりと並ぶ空間があり、画風が以前よりも明るく生活感の漂うものへと変化したことが見て取れる。千穂をモデルに据えて以降、作品は評論家からも高く評価され、熱心なコレクターも増えていったという。


1983年から約2年間を京都で過ごし、帰京した牧野は、身体の不調を覚えながらも絵画制作を続けていた。しかし、86年夏にガンの宣告を受け、そのわずか3ヶ月後に急逝してしまう。「終章:魂の召喚 -その終焉・昭和60年代-」には、遺品のなかに残されていた未完成の絶筆や、亡くなる前年に描かれた作品が並ぶ。死の足音が近づくなかでも、徹底した写実表現と独自の世界観の揺るぎなさに驚かされる。

なお、同館ならではの企画として、青春時代を茅ヶ崎で過ごした牧野の足跡をたどる小展示も実施されている。実姉らが運営する「マッコール洋裁学園」に関する資料もあわせて展示されており、牧野がこの地でどのように日々を過ごしていたのかを知る貴重な機会となっている。

画壇に属さず、当時は「時代遅れ」とも言われていた写実表現を、執念とも言うべき情熱で突き詰めていった牧野。没後、千穂夫人が遺志を継いで展覧会開催に尽力し、2013年の練馬での展覧会も担当した本展監修・山下裕二との約束を経て、この生誕100年という節目の年に集大成となる展示が実現した。
敬愛したレンブラントや西洋的写実表現、そして独自の世界観への偏愛ともいうべきこだわりは、既存の美術史の枠組みだけで語るには足りないかもしれない。令和の時代に本展が開催されたことで、今後どのような再評価がなされていくのか、興味が尽きない。



















