本展が示すのは、様式史としての近代ではない。工芸、デザイン、グラフィック、消費が絡み合いながら、人々の生活感覚を変えていったプロセスそのものだ。世界恐慌や震災、戦争という不安定な時代にあっても、モードは未来を想像する装置であり続けた。そのことを、手に取れる物の集積として実感させる点に、本展の説得力がある。

そして忘れてはならないのが、会場である岐阜県美術館の存在だ。近代日本美術とフランス近代美術、とりわけルドン・コレクションで知られる同館は、工芸・デザイン研究にも継続的に取り組んできた。広い展示空間と落ち着いた環境は、作品同士の関係を丁寧に読み取るのにふさわしく、国立工芸館のコレクションを「借りてきた名品」としてではなく、思考を促す素材として受け止めさせる。コレクション・ダイアローグという枠組みが目指す「対話」は、まさにこの場所で具体的な手触りを得ている。国立と地域が出会うことで、コレクションが再び語り始める。その確かな始まりを示す展覧会である。




















