
第1章では、いわば「モード以前」の状況が整理される。19世紀後半、万国博覧会を通じて日本の工芸品は欧米に紹介され、ジャポニスムとして熱狂的に受容された。しかし明治後期になると、従来の意匠に依拠した日本工芸は停滞を指摘され、ヨーロッパではすでにアール・ヌーヴォーという新たな様式が台頭していた。日本は、影響を与える側から、変化を迫られる側へと立場を変えていく。
第2章では、その転換点が具体的に示される。1900年のパリ万博を視察した黒田清輝や浅井忠らは、絵画だけでなく、ポスターや書籍装丁、工芸デザインに強い関心を寄せた。杉浦非水が図案家へと転身し、三越を拠点に商業デザインの基盤を築いていく過程は、芸術と生活、制作と消費が結びついていく近代の姿を象徴している。百貨店の成立とともに、「流行」は一部の趣味ではなく、大衆的な感覚として組織化されていった。




















