1925年のアール・デコ博覧会を扱う第3章は、本展の思想的な核である。幾何学的な構成、工業素材と装飾性の融合、グラフィックにおける大胆な視覚言語は、日本の工芸家や図案家に大きな刺激を与えた。帰国後の津田信夫や高村豊周らが「美術としての工芸」を志向し、伝統の再解釈を試みたことは、工芸が実用品から表現の領域へと踏み出す重要な契機となった。同時期に、帝展で工芸部門が設けられ、民藝運動や図案研究団体が相次いで生まれたことも、この時代の切迫した創造の空気を物語る。


第4章では、モードが分化し、社会へと広がっていく様相が描かれる。富本憲吉が量産品に取り組み「民衆のための美」を模索したこと、農民美術運動が地域と工芸を結びつけようとしたこと、藤井達吉が「手芸」に生活美の可能性を託したことなど、工芸は次第に階層や性別、地域を越えて浸透していく。洋装や化粧の普及とともに現れたモダンガール、モダンボーイの姿は、モードが身体のあり方や自己像を更新する力を持っていたことを端的に示している。




















