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「ライシテからみるフランス美術」(宇都宮美術館)レポート。フランス美術史を問い直す世界初の試み【5/7ページ】

第四章 もうひとつの聖性──芸術そのものが聖なるものになる

 19世紀末から20世紀初頭、芸術は新たな役割を担いはじめる。かつてのサン=シモン主義者たちの言が実現するかのように、芸術家は社会のアヴァン=ギャルド(前衛)として、人々の精神を導く司祭のような使命を帯びるようになる。国家や教会の庇護を離れた芸術は、自らのうちに聖性を宿すようになっていく。

展示風景より、クロード・モネ《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》(1889、三重県立美術館)

 藤原氏は、クロード・モネ《ラ・ロシュ=ブロンの村(夕暮れの印象)》(1889)をその象徴に挙げる。

 「モネが描いたのは変化する自然の風景ですが、その向こうに“変わらない力”を感じさせます。このクルーズ渓谷もまた、かつてジョルジュ・サンドが芸術家コミュニティを築いた地ですが、サンドの時代から続く自然との交感によって感じ取った聖性を、モネは既存の宗教を介さずに芸術の聖性として提示している。本展の出品作ではありませんが、例えばモネが後に描く《睡蓮》は、こうした“新しい聖性”による聖堂を築くことになります」。

展示風景より

 ドラクロワからモネへ、信仰の光は理性の光と交わりながら、芸術そのものが祈りとなる時代を迎える。芸術家はいまや何かを称揚するのではなく、自らの力で聖性に到達しなければならない。芸術が「聖なるもの」を引き受ける時代。それは同時に、国家や宗教の外に置かれた人間の精神が、自律的な聖性を感知する時代でもあった。このときライシテは、たんなる制度はなく「感性のあり方」へと広がっていく。

編集部