第三章 「政教分離」と「神聖同盟」──信仰を失ってなお祈る人々
19世紀末、ドレフュス事件を経て「二つのフランス」の対立が再燃する。そして1905年、政教分離法が成立。国家と宗教は完全に分離され、フランスは“ライシテ国家”として新たな歩みを始めた。しかし、人々の心から祈りが消えたわけではない。第一次世界大戦という未曾有の惨禍の中で、宗教美術は慰霊と連帯の象徴として再び息を吹き返す。
その象徴が、モーリス・ユトリロ《旗で飾られたモンマルトルのサクレ=クール寺院》(1919)である。白い聖堂の上には、フランス国旗がはためく。もとは王党派・カトリック保守の象徴として建てられたこの教会が、戦後には“祖国防衛”を祝う民衆が終戦を喜び、犠牲への追悼を行う場へ変わっていった。信仰と国家、宗教と共和国が再び交差するその風景を、ユトリロは静かに描き出している。

「政教分離法によって宗教が国家から切り離されたあとも、人々は祈りの場を求めました。厳格な政教分離のように語られがちなライシテですが、実際はその時代ごとの人々の心性を映し出すように様々に形を変えています。だからこそ宗教的建築や象徴が、共和国の都市風景に再び息づくのです」(藤原)。
宗教と国家が再び重なり合うこの時代、「共和国は厳格なライシテにこだわることなく、強かな運用によって民衆の心に寄り添っていた。



















