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「ライシテからみるフランス美術」(宇都宮美術館)レポート。フランス美術史を問い直す世界初の試み【3/7ページ】

第二章 敗戦からの復興──共和国がつくる「公共の光」

 1870年、普仏戦争の敗北により第二帝政が崩壊。第三共和政が誕生する。その後、王党派とカトリックの影響力が再び強まり、モンマルトルの丘にサクレ=クール寺院の建設が始まる。だが1879年の選挙で共和派が勝利すると、フランスは再び革命の理想に舵を切り、教育の無償化・義務化を進め、宗教教育を排して“ライックな共和国”を目指した。

 「第三共和政期の公共美術は、共和国の理念を広める教育的メディアとして機能しました。宗教に代わって人々を結びつけるものとして、ライシテの道徳が求められました」。

展示風景より、ピエール・ピュヴィス・ド・シャヴァンヌ《聖ジュヌヴィエーヴの幼少期》(1875頃、島根県立美術館)

 共和政の時代、美術は国家の理念を可視化する“公共の言語”として機能していった。例えばピュヴィス・ド・シャヴァンヌの壁画のように、祖国防衛の戦争や労働、教育といった“世俗の徳”を称える作品が数多く制作される。それらは教会に代わって共和国の価値を語る新しい象徴となり、ライシテ化の先にある社会へと人々の精神を導くことが目指されたのだった。

 「第三共和政期の公共美術は、宗教に代わるいわば“新たな共同体の信仰” を形にする役割を果たしました。公共空間を彩った壁画や彫刻は、理性や教育といった共和主義的徳目を美のかたちで体現していたのです」(藤原)。

展示風景

 こうして共和国の理念は、美術を通じて日常の光景へと染み込んでいった。信仰の光と理性の光が交錯する、ライシテ時代の新しい「祈りのかたち」がここに見える。

編集部