会場では、アカガエル、ウシガエル、トノサマガエル、カジカなどのカエルの鳴き声が重なる。近代化の象徴ともいえる東北の田んぼで、夏には驚くほどの大音声になるというカエルは、初めて声帯を発した生物であり、常に水辺という辺境に生き、皮膚呼吸のため環境の変化であっという間に絶滅する。志賀は、人間に先んじて何かを察知する存在としてカエルの声を選んだ。
ときにつぶやきや散文で、ときにスローガンで、あるいはマニフェストのような長文でつづられるテキストを拾い読みし、ビーズクッションにもたれてカエルの声に聞き入りながら、痛々しく、グロテスクともいえる生々しい絵巻のなかを猟歩する体験は、現実と幻想、過去と未来を往還すると同時に、何かの胎内にいるような、その一部になっているような感覚を呼び起こすだろう。


視覚と聴覚への圧倒的なインパクトを身体的に体感するふたつの空間は、知らない経験と記憶が今を生きる自身のそれを巻き込んで、深い思索へとうながしていく。未来へ向けて私たちは何を伝えていかなければならいのか、「見せられていたもの」や「考えさせられていたもの」から逃れ、自ら「見て」、「考える」、そこに新しい認識や可能性が拓かれていくはずだ。



















