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イメージを求め、人と自然の極限を見つめる。冨山由紀子評「志賀理江子 ヒューマン・スプリング」展

宮城県を拠点に、フィールドワークに基づいた写真作品を発表してきた志賀理江子による個展「ヒューマン・スプリング」が東京都写真美術館で開催された。いまを生きる人々の心身の衝動や反動などに焦点をあてた新作写真インスタレーションが提示する問いとは何か。写真研究者の冨山由紀子がレビューする。

文=冨山由紀子

会場風景より

海の底で写真を見るということ

 展示室に踏み入れると、ふだん美術館で目にするのとは明らかに違う光景が広がっていた。壁に、写真が飾られていない。かわりにあるのは箱だ。自分の背丈よりも大きな箱が、室内に林立している。

 箱の表面は写真でできていて、その大きさゆえに、あちこち波打ってたわんでいる。緩やかにうねる表面に、天井からの明かりが反射して、床に波紋のような模様をつくる。箱のそばを歩くと写真がふるふると揺れて光り、床の波紋も一緒に揺れるような気がする。まるで海の底にいるみたいだ。天井に吊られた鏡を覗きこむと、箱の上部を覆う写真には波か砂のようなものが写っているのが見える。それが頭上にあるのだから、ますますここは海の底だという気がしてくる。

会場風景より

 しかし、海の底を連想した理由はそれだけではない。写真の内容が、あの東北の震災を思い出させるのだ。支え合って歩く泥まみれの人たちに、窓も屋根も抜け落ちたぼろぼろの家屋、ブルーシートの上で毛布に包まる人……。ひとつだけ、写真の張られていない、木の躯体だけの箱が土嚢と一緒に置かれていて、やはり津波の記憶を喚起する。この作家が移住先の宮城で被災し、死を間近に経験した1人であることを、否が応でも思いだす。

 室内の明かりが時折ふっと暗くなり、また戻る。ここにあるのは、波にさらわれ、海深く沈んだイメージの群れなのかもしれない。海の底なのだから、本来は暗い。この展示の期間だけ、特別に光を当てられているのだ。8年の月日があっという間だとしても、時の過ぎ去る早さの理由は人それぞれに違う。忘れる者は忘れ、こうして差し出されでもしなければ、記憶の奥底に沈めたままにしてしまう。

志賀理江子 人間の春・彼には見える 2019 © Lieko Shiga

 とはいえ、並んでいるのは震災を直接的に連想させる写真ばかりではない。たとえば、街中で取っ組みあう男たちの写真。水平線がかしぎ、光と闇が隣りあう色合いのなかで、危うい体勢で揉みあい、跳ねる人間の姿。そこには身体の奥底から湧きでる破壊欲のようなものと、それに抗い、すれすれのところでバランスを保とうとする意志が、繊細に拮抗しているように感じられる。鋭い緊張と、その只中に存在する不思議な弛緩。こうした写真が震災を連想させるイメージと並びあうと、なんらかの極限におかれた人間や環境がどのような姿を見せるのかが、写真を通して探られているようにも思えてくる。

 だが、そうして作品の世界に惹き込まれるいっぽうで、強い不安にもおそわれる。部屋の奥へ歩みを進めてふり返ると、その不安は頂点に達した。赤い虚ろな顔をした裸の男が、青白く光る海を背にこちらを見つめる写真がずらりと並んでいる。すべての箱の裏面に、この写真が用いられているのだ。異様な圧で迫る顔の群れは、血みどろで海から逃げ戻ったようにも、いましがた産道をくぐり抜けたかのようにも見える。ピントが微妙にぼけているせいで、見ても、見ても、波の形のように掴みどころがなく、目が離せない。

志賀理江子 人間の春・永遠の現在 2019 © Lieko Shiga

 飲まれるな――と、自分に言い聞かせる。心を揺さぶられるのは、それだけ作品に力があるからだろう。しかし、こうして鮮烈さに打たれ、かき乱されるほどに、それをスペクタクルとして消費してしまうのではないかという不安に駆られるのだ。忘却は人の生に欠かせない機能だが、日々膨大なイメージに囲まれての暮らしは、目にしたものを都度、すみやかに忘れ去ることを習い性にする。

 ただ、そうした不安のいっぽうで、それとは違うものも見え隠れする。作家は今回の展示を、「日本各地の様々な年代、職業の人々」とともに制作したという。つまり、作家が用意した場に、協力者たちのふるまいが加わって、この作品は生まれた。

会場風景より

 制作の現場において、作家と協力者がどのようなやりとりをし、どのようなイメージを共有していたのかは、見る者にはわからない。じつは震災や人間の極限状態などとはまったく関係のないところから、これらの写真は生まれたのかもしれない。被写体となった人たちの所作は、その端々に生々しいぎこちなさを残していて、制作の現場と、完成物としての写真とのあいだの「ずれ」に意識を向かわせる。その「ずれ」が、イメージの海に亀裂を入れ、ブイのようにこちらを水面へ引き上げようとしてくる。

 再び水面に顔を出したならば、どんな世界が見えるのだろうか――海の底へ誘う力と、そこから浮上させようとする力の狭間で考える。

編集部

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