第1章「どちらまで?」
導入となるこの章では、近代から現代にかけての「日常的な散歩」の姿が描かれる。菊池契月《散策》(1934年、京都市京セラ美術館蔵/前期展示)は、新緑の森を犬とともに歩く少女を描き、静と動の対比が鮮やかである。金島桂華《画室の客》(1954年、京都市京セラ美術館蔵/後期展示)は、犬の散歩途中に画家を訪ねた女性を描き、散歩が人を予期せぬ場所へと導く契機であることを示している。小倉遊亀《春日》には散歩道での立ち話の場面が描かれ、日常に潜む社交や交流の側面を伝える。散歩の姿は季節や天候によって変化しながら、常に私たちの生活に寄り添ってきたことが伝わる。

第2章「野に出る」
鎌倉~南北朝時代の禅僧・虎関師錬は、漢詩集『済北集』で「散歩」という語を初めて用いた。春の野辺をそぞろ歩き、梅花に心を寄せるその詩は、野に出て自然に触れる喜びを端的に伝える。伝馬遠《高士探梅図》(14世紀、中国・元時代、前期展示)には月夜に梅を探す高士の姿が描かれ、浦上玉堂《幽渓散歩図》(後期展示)は山水の中を歩む人物を描き、自然の懐に身を置く散歩の本質を示す。日差しや風を求め、草花に心を寄せる歩行は、現代の私たちが野外を歩く感覚と地続きである。




















