第2章では、1909年頃から制作をはじめた、パリの街の白壁を独自のマチエールで表現する「白の時代」が紹介されている。パリ18区に位置する「マルカデ通り」を描いた《マルカデ通り》はこの時代に描かれたもの。画面内に描かれる文字は、「COMPTOIR」(カウンター)、「VINS・LIQU[EUR]」(ワイン・リキュール)などの、酒や食事に関する店舗の看板を指している。

また本展では、同館が所蔵する《ラパン・アジル》のバリエーションに着目し、同じモチーフを執拗に描き続けたユトリロの制作方法も紹介される。「ラパン・アジル」とは、モンマルトルの象徴的なキャバレーのことで、ユトリロはこのモチーフを300点以上描いたといわれている。絵葉書をもとに制作されているため、「ラパン・アジル」は同一構図で描かれているが、実際に比較すると色調や質感が異なっていることがわかる。


ユトリロが使用する「白」は、通常の絵具に石膏や、場合によっては鳥のフン、砂などが加えられている。そうすることで、画面にざらつきと重量感を与え、作品内で描かれる古びた壁や路地にリアリティを持たせることができる。本章では、そんな素材を用いて、ひび割れや風化の痕跡すら細かく描かれた街角や建物の「壁」に着目しながら、ユトリロの「白の時代」を代表するような作品が紹介されている。


1920年に描かれた《郊外の教会》は、次の「色彩の時代」へ移る前の過渡期である「豊穣な緑の時代」に制作されたもの。色彩は暗さを増し、緑が多く使われるようになったこの時期は、精神病院の入退院を繰り返し、母からは監禁される生活を送っていた。さらにこのとき友人のアメデオ・モディリアーニ(1884〜1920)も亡くなっている。これらの不安定な状況が、確実にユトリロの絵画様式に影響を与えていたことがわかる。




















