第1章は「モンマニー時代」。依存症の治療の一環として絵筆をとった制作初期を指しており、カミーユ・ピサロ(1830〜1903)やアルフレッド・シスレー(1839~1899)の影響を受けて厚塗りの画面を多く制作した。黄土色、緑色、黄色、青色などの明るい色彩を細かい筆触で積み重ねる作品群は、この時期にのみ見られる特徴である。

この時代の典型的な作例となるのが、《モンマニーの屋根》である。パリ近郊の小さな町モンマニーには、1896年に母ヴァラドンと結婚したボール・ムジスが住んでおり、若きユトリロはこのモンマニーとモンマルトルを行き来する。そのためこの時期は、モチーフにモンマニーとモンマルトルの小高い丘から眺めた風景が多い。

また本章では、ユトリロと日本の関係についても紹介される。ユトリロの作品は1920年代から、美術批評家であり画商の福島繁太郎(1865〜1960)によって日本でも紹介されはじめたとされている。当時よりユトリロ作品は日本でも大きな人気を博していた。
会場で紹介されている《サン=ドニ運河》は、福島によって1929年以前に日本へもたらされた作品。ブリヂストン美術館(現・アーティゾン美術館)を設立した石橋正二郎の絵画コレクションに最初期に加わった作品のひとつでもある。次の章で紹介される、1910年前後にはじまる「白の時代」の直前に制作されたもので、ピサロの影響を受けたことがわかる作品でもある。




















