パリの町並みを描き、その静謐な風景画で強い人気を持つフランスの画家、モーリス・ユトリロ(1883〜1955)。とくに、1908年頃より6年ほどの期間、白い壁が印象的な建物や壁を主題として描いた「白の時代」は、その画歴のなかでもとくに傑作とされる作品が多く、高く評価されている。
横浜高島屋で始まった「パリを愛した孤独な画家の物語 生誕140年 モーリス・ユトリロ展」は、この「白の時代」を中心に、ユトリロの作品約70点を展示するものだ。会期は10月2日まで。
本展に展示されている作品は八木ファインアート・コレクションや西山美術館、国内の個人コレクターが所蔵している優品を中心に集められており、通常は見ることができない作品群を時系列に沿いながら観覧できる貴重な機会となっている。
奔放な母親に育てられたユトリロは子供時代を孤独に過ごし、10代でアルコール依存症になるなど、その人生のスタートは悲惨なものだった。しかしながら、依存症の治療のために始めた絵で才能が開花。会場の冒頭では「モンマニーの時代」と呼ばれるこの時期の作品が数点展示されている。パリに生まれ、パリの街角を生涯描き続けたユトリロの画業の方向性が、すでにこの時期に固まっていることがわかる。
結果的にアルコール依存は治癒しなかったユトリロであるが、絵の探求はより深いところへと至る。1908年頃より、本展の主軸である「白の時代」と呼ばれる作品群を描き始め、多くの傑作が生み出されることになった。とくに、建物の壁を表現するための複雑なマチエールは、色合いや凹凸など、実物を前にしなければわからない存在感を生み出している。
例えば、本展に出品されている代表作のひとつ《〈可愛い聖体拝受者〉、トルシー=アン=ヴァロワの協会(エヌ県)》(1912頃)の壁面には目を奪われる。緑青色が混じった白壁は、筆やペインティングナイフの複雑な軌跡もあいまって、思わず引き込まれてしまうような深みを持つ。どんよりとした曇り空から浮かび上がるように、教会の存在そのものが見るものの眼前に立ち上がるような印象を受ける。
本作のみならずほかにも教会を数多く描いたことで知られているユトリロだが、会場で各作品に描かれた教会を見比べると、それぞれが個性的な表情の壁を持っていることがわかる。ぜひ、各教会の個性を会場で見つけてみてほしい。
日本におけるユトリロの人気の要因のひとつとして、パリという日本人の多くが憧れる街を描いたことが挙げられるだろう。何気ない郊外の家を描いた絵でも、パリの空気を雄弁に語ってくれる。さらに、描かれた街路樹や庭の木々、空の色などにも注目してみてもおもしろい。それぞれの作品に季節や天候が存在し、主題となっている建物もまたそれを反映した色調を持っていることがよくわかるはずだ。
1912年、アルコール依存症がさらに悪化したユトリロは診療所に入院。入退院を繰り返すことになるが、この時期からは「色彩の時代」と呼ばれる明るい色調の作品を制作し始める。「白の時代」の潤沢な作品群を見てきた後に見る「色彩の時代」は、様々な発見を見るものに与えてくれるだろう。
結果的に、ユトリロは1955年に世を去るまで、アルコールへの依存を断ち切ることはできなかった。しかしながら、その苦しみのなかで生まれた珠玉の作品は、いまも人々の心をとらえ続けている。
会場では、挿画本や段階別の版画なども展示している。「白の時代」の国内コレクションが一堂に並ぶ、貴重なこの機会に、ぜひ会場を訪れてみてはいかがだろうか。