最後の第3章「絵金と周辺の絵師たち」では、屏風や絵巻、軸物以外の絵金の作品と、絵金と深い関わりのあった絵師の作品が展示される。
ここで改めて「絵金」という呼び名について詳しく触れたい。絵師・金蔵の愛称として「絵金」と呼ばれているが、じつは、金蔵の芝居絵屏風の大流行により、芝居絵屏風そのものも「絵金」、金蔵の弟子たちも「絵金」、さらに転じて絵描きの総称も「絵金」と呼ばれた事実がある。そのため、一様に「絵金」といっても、絵師・金蔵のことを指さない場合もあり、絵金筆と伝わる芝居絵屏風においても、金蔵が描いたものから金蔵の作風を受け継いだ絵金派の作品までを指すこともある。
しかし金蔵の弟子に当たる絵師は確実に複数名いたことが判明している。例えば、米国から帰国した中浜(ジョン)万次郎から聞き書きした漂流記を土佐藩主に献上し、坂本龍馬とも交流のあった知識人・河田小籠(かわだしょうりょう)もそのひとり。本章では前期(9月10日〜10月6日)で河田による横幕が展覧されている。なお後期(10月8日〜11月3日)では、ほとんど現存していない紙製の幟のなかでも、絵金の基準作となる《近江源氏先陣館 盛綱陣屋》も展覧されるため、こちらも必見だ。

また会場には、江戸時代、土佐藩に素麺や菓子を納めた老舗の西川屋に伝わる幟《養老の滝図/龍虎図》も紹介されている。3本のうち、真ん中の幟が金蔵の作品だといわれている。

現在も祭りで飾られる芝居絵屏風をはじめとし、まだ謎の多い「絵金」の存在とその画業に迫る本展。東京初の大規模展覧会を通じて、作品の迫力と、いまもなお伝わる「絵金」が残した文化を、間近に感じる機会となるだろう。



















