• HOME
  • MAGAZINE
  • NEWS
  • REPORT
  • 「戦後80年-戦争とハンセン病」(国立ハンセン病資料館)開幕レ…

「戦後80年-戦争とハンセン病」(国立ハンセン病資料館)開幕レポート。果たして本当に戦後か、ハンセン病患者・回復者の戦争の記憶をたどる【4/4ページ】

 ハンセン病患者は国の隔離政策によって兵役義務から外されていたが、そのいっぽうで従軍中の兵士がハンセン病を発症したケースもあった。3章では、「軍人癩(ぐんじんらい)」と呼ばれた患者たちの戦争体験や、そのなかでも軍人癩となってしまったひとりの兵士、立花誠一郎さんのエピソードについて紹介されている。

展示風景より

 兵士たちの発病誘因でもっとも多かったのは戦時下の過労であったという。そして、従軍にあたってハンセン病を発症したこういった「軍人癩」の増加が、戦後に日本が隔離を強めた根拠とされたと吉國は語っている。

 さらに会場では、立花誠一郎さんの従軍中に受けた隔離や差別、そして戦後に入所した傷痍軍人駿河療養所(現・国立駿河療養所)や邑久光明園での過酷な暮らしについても触れられている。展示される立花さんの私物や資料でのエピソードからはパーソナルな部分も垣間見ることができ、ひとりの人間が受けるにはあまりにもひどく恐ろしいものであったことを見る者に伝えてくれる。

展示風景より、立花誠一郎さんの旧蔵品
展示風景より、「立花誠一郎さんのスケッチブック」(1940年代)。ニューギニア戦線でオーストラリア軍の捕虜となった立花さんはカウラ収容所に移送され、ここでハンセン病と診断された。このスケッチは同地で描かれたもののようだが、どこか日本らしい雰囲気も漂う。この風景を描いた立花さんは当時何を想っていたのか、この展示品はそのような想像を掻き立てる効果を我々にもたらしてくれる

 戦後80年を迎えた2025年。我々はすでに過去の出来事として戦争を語っているだろう。しかし、戦争がハンセン病患者・回復者に及ぼした影響やその傷跡は、21世紀になっても消えることはなかった。当時の惨状、そしていまもなお、患者・回復者の人権の尊重を求めた活動が行われ続けていることを、本展を通じて目の当たりにしてほしい。